杉本博司展/クリスチャン・ボルタンスキー展/アニッシュ・カプーア展/杉本裕子展

群馬・高崎で開催された合気道の国際大会に参加するためと、東京でいくつかの展覧会を観るために、一日半のスケジュールで東京方面に行ってきました。
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1)まずは高崎での合気道国際大会です。竣工したばかりの高崎アリーナの広大なメイン会場を、世界中から集まって来た何百人もの合気道家が埋め尽くしています。私もその中で半日だけでしたがしっかり稽古してきました。(写真は稽古のあとの余韻の残る会場風景です。)
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2)東京に戻って、まずは銀座の中和ギャラリーの「杉本裕子展」です。杉本さんは松尾美術研究室の創設時に講師をされていたこともあります。今回の個展でもアトリエや日常の風景をキャンヴァスやビニールシートや木片に「パンクに」(?)描き、刻み、所狭しと並べ、杉本ワールド全開でした。(中和ギャラリーのウェブサイトのFacebookページで杉本さんの作品の写真を少し観ることができます。)
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3)上野の東京芸術大学の近くにあるSCAI the bathhouse に「アニッシュ・カプーア展」を観に行きました。このギャラリーはお風呂屋さん跡を改造したユニークな建物です。会場の広さの制約から展示されている作品はカプーアの作品としては小さめのものなのでしょうが、磨き込まれたステンレスの表面に無限が見える作品、お椀上の形態の内側にマットな黒の塗料が塗られ、表面がブラックホール化したかのような壁掛けの作品、そして闇の作品と一体化した建築の模型など、彼の特徴がよくわかる作品が緊張感をもって展示されていました。光を吸い込んでしまう表面と、鏡面のように光を反射する表面。あるいはその中間的なもの。これらの作品は一見トリッキーな見かけなのですが、単なる効果にとどまらず観るものを、その身体性への自覚から、瞑想的なるものへと誘う本質をもっているように思えました。
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4)白金台の東京都庭園美術館に「クリスチャン・ボルタンスキー展」を観に行きました。旧朝香宮邸のアールデコ調の室内にさまざまな声が響いています。別棟のギャラリーでは大きなインスタレーションが展示されています。ここでも無数の風鈴が響き合い、また、吊り下げられたたくさんの半透明の布が揺らめいています。一つ一つの作品は決して強い印象を残すものではありませんが、作品自身が発する響きがこの場所の持つ歴史性と響き合い、それを体験する私たちの何かを響かせる・・・そんな展覧会でした。
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5)最後は恵比寿の東京都写真美術館の「杉本博司展」です。美術館の3階と2階の二つのフロアを使った展示です。
「ロスト・ヒューマン」と副題がつけられた今回の展覧会は「人類の文明の終焉」がテーマです。3階部分は、杉本氏自身による文明終焉に至る33のストーリーが掲げられ、それに関連したインスタレーション(杉本氏による古代から現代までの考古学的/歴史的遺物の膨大なコレクションと自作の写真作品を構成したもの)が展示されています。
この階のはじめと終わりに「海」の連作から1点ずつが展示されているのですが、この作品が非常に印象的でした。人類の文明の栄枯盛衰に変わることなく太古より存在し続け、また未来へと存在し続ける超然とした「海」。この作品の持つ意味が、中間にある人間の文明の有象無象のドラマを挟むことによってより浮かび上がります。(さらにはバッハの「ゴールドベルグ変奏曲」の冒頭と最後のアリア、そしてそれに挟まれた変奏曲群という構造をも想起させました。)

2階の展示では、新作の「廃墟劇場」の連作と、京都・三十三間堂の千体仏を撮った「仏の海」が背中合わせに並べられていて壮観です。
とりわけ、今は廃墟となってしまった内部が崩れた劇場跡に改めてスクリーンを張り直し、そこに自らが選んだ末世の人間像がテーマと思わせる作品(「ディープ・インパクト」「ゴジラ」「渚にて」「異邦人」「羅生門」など)を映写し、その映写時間だけシャッターを開いて長時間露光した「廃墟劇場」の作品群は、モノクロの抑制されたトーンながら、中央で輝くスクリーンの光とそれに照らされた廃墟の内部のディテールの対比が異様なまでの象徴性を伴い、圧倒的な力を放っていました。(下の写真は同展のカタログです。)

この展覧会は、近未来において起こりうるかもしれない「文明の終焉」のシナリオを提示することによって、現在の人類共通の問題点を改めて問い直し、未来にそうした結果を生まないようにするための再考の機会だ・・・という意味の主催者による説明が掲示されていました。しかし芸術は両義性を持っています。この展覧会を実際に観て、この説明にあるような教条的なものにとどまらない、「ぞっとするような美しさ」を作品の中から感じました。それが一体何なのか、どこから来るものなのか、私の中に残った手触りの意味を考え続けています。
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まだまだ観たい展覧会や訪れたい美術館があったのですが、今回はこれで時間切れです。
最後は、上野から日暮里へと抜ける途中にある谷中墓地で見かけた猫です。(Y.O.)
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# by matsuo-art | 2016-10-02 11:00 | 展覧会  

東京・目白 古道具坂田

東京・目白の大通りの一本裏手にある、古道具坂田。
静かに佇む小さなお店ですが、ここには「デストロイヤー」と呼ばれる店主 坂田和實さんがおられます。6月に足を運ぶ機会があったので、ぜひこの機会に紹介したいと思います。

 かつて古美術や骨董品が名品であるかどうかは、そのものの歴史的価値、名のある作者かどうか、手間暇かけて高度な技術で作られているか、高級素材が使われているかどうかでした。学術的な知識を備えて初めて理解ができる教養人の嗜みの一つでした。しかし、そういった外から約束された価値基準の色眼鏡を外して、自分の感性を信じ、責任を持ってものを選ぶとはどういうことか。

 豪華さや完成度を基準にした固定観念に反する動きは古くは千利休のわび茶に始まり、柳宗理や青山二郎、白洲正子、小林秀雄といった骨董の目利きもまた、自由に自分の眼と直感でものを選ぼうとした人たちでした。坂田さんもそのような流れの先にいる人ですが、その眼はさらに自由に柔らく、使い込まれていたり、欠けていたり、骨董の世界からは見向きもされなかった名もなき日用品にまで及んでいます。

 お店のほの暗い空間に置かれているものは、刃のこぼれたヨーロッパの黒いナイフ、年季の入った銀のスプーン、どこかの民族の蜂取り籠、あちこち割れて継がれた陶器の器などです。ある時は焼きすぎた黒焦げの食パンや納豆の蓋、刺し子でツギハギしながら使われ続けたボロ布、使い古したコーヒーのネルドリップも置かれていました。
 文字で読むと「ガラクタ?」と思われるかもしれませんが、実物を見るとそれらが選ばれしものである理由に頷けます。どれもこれも国境と民族を超えて、世界中から集められた人の心を動かす質感、形、色の絶妙なバランスをもつ有力選手たちばかりです。それらはお店の空間の中で一番良く見える的確な場所に置かれています。

 もの自体がもつ美しさと既存の価値基準とはあまり関係がないというのが坂田さんの考えです。既存の価値を離れてものを選ぶということは、自分の価値観が明確でなければできません
。坂田さんがお店で売っているのは、「これを美しいと僕は思う。」という価値観です。坂田さんが現れたことで、多くの「眼」が開かれ、古道具のみならず多くの芸術家にも新しい視点の発見をもたらしました。静かに目の前のものと向き合い、それが本当に自分の望んでいることかどうかを考える姿勢には、私も大きな影響を受けた一人です。

 お店でお会いした坂田さんは飾らない人柄で、質問にも丁寧に答えて下さり、面白い話をあれこれと聞かせてくださいました。興味深かったのは、同じものでも欧米の乾いた気候の中で見るのと、日本の湿気の多い空気の中で見るのとでは見え方が違うということでした。絵の場合も日本の風土でよく見えていても、欧米の光の中ではよく見えないという様なことがあるのかもしれません。
 また、日本ではあらかじめ使い捨て用に作っている家具や器でも良いものが隠れていて面白い、とおっしゃっていました。外の価値基準に振り回されやすい日本人の特性から生まれているよう思いました。坂田さん自身も、たくさんの価値に揺さぶられ寄り道をしながら、今の「眼」になったとおっしゃっていましたが、坂田さんが絶えず発し続けてきた「あなたは自分のものさしを持っていますか?」という問いに、今回もまた襟を正され、目を洗われる思いでした。


〈坂田さんに関するお薦め〉

「ふだんづかいの器」という本の中で、骨董界切っての4人の目利きが、それぞれ自宅の食卓で愛用している器を紹介していますが、「とっておきの器を紹介してください」と言われて坂田さんは「掌」と答えたそうです。この案は編集者に却下されてしまいましたが、こう言ったエピソードからも坂田さんの自由で冴えた考え方がうかがえます。
本の中で紹介されている食卓には、アッと驚く視点で選ばれた食器たちが並んでいます。
https://www.amazon.co.jp/骨董の眼利きがえらぶ-ふだんづかいの器-とんぼの本-青柳-恵介/dp/4106020912

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「ひとりよがりのものさし」
坂田さんが芸術新潮にて連載されていた人気のエッセイは「ひとりよがりのものさし」という本になっています。
鋭い審美眼によって選び抜かれたものたちには、どれも息が抜けず、文章も飽きません。とても良い本なので、機会があれば探してみて下さい。
https://www.amazon.co.jp/ひとりよがりのものさし-坂田-和実/dp/4104644013/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1467213618&sr=8-1&keywords=ひとりよがりのものさし

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千葉の山奥には「as it is」という坂田さん主催の小さな美術館があります。
徒歩では最終のバス停から1時間強の山道を越えた所にありますが、こちらは大きな砂壁に囲まれて、さらに純度の高い坂田さんの「眼」に触れることができる静かな空間です。季節ごとに坂田さんの企画展や、坂田さんが信頼を寄せる個人のコレクターの企画展が行われています。
http://sakatakazumi.com

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〈追伸〉
予てよりいつか坂田さんの眼を通ったものを自分の眼を通して選んでみようと決めていました。
今回は2度目の訪問でしたが、これなら、と思えるものを発見したので、譲っていただきました。
古道具坂田の綺麗な光と空間を持ち帰れるものかどうか心配でしたが、帰って包みを開けてみると、、大丈夫だったようです。(y.m.)
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# by matsuo-art | 2016-07-15 12:55  

笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」(京都造形芸術大学・春秋座)

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7月3日、京都造形芸術大学・春秋座で開催された笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」を観に行きました。

しばらく前偶然に、出版されたばかりの笠井叡さんの著書「カラダという書物」(書肆山田)を手にし、その本の持つたたずまいに直感的に惹かれて買い求め読みました。そのとき、内容的には容易にうなづくことができないところもあるものの、「でもこの本はまぎれもなくこの人の身体のなかから出て来たものだけで出来ている、嘘偽りのないものだ」と思いました。それ以来笠井さんのダンスを観る機会をうかがっていましたが、今回ようやくその機会を得ることができました。

冒頭からブラームス交響曲1番の壮大で重厚な響きに乗って、笠井さんと山田せつ子さんとのデュオで激しく踊り続ける鮮烈な始まり方でした。私の稽古している合気道の「呼吸法」に似た空間を抱え込みながら旋回する横の動き(「瀕死の”呼吸法”」!)と、突然崩れ落ちては素早く立ち上がる縦の動きを織り交ぜながら、舞台空間を大きく使って1楽章15分ほどを丸ごと踊り続ける圧巻のダンスでした。二人の身体からダンスがこんこんと涌き出してきます。
笠井さんと山田さんのユニゾンの動きはお互いの身体性の違いのままにズレていくのですが、それが逆に二つの身体の関係性を際立たせ、舞台上での響き合いを感じさせます。(終演後のアフタートークで、笠井さんは、ズレていくことは当然意図されていたことと話していました。)

その後も両者ともやはり長いソロを踊るシーンがあり、共演の4人の若手女性ダンサーの好演もあって、全体的に大変濃厚な1時間20分でした。人間の身体の動きだけでこれほどの時間を緊張感を維持してみせる振り付けや構成の緻密さと力技に感銘を受けつつ帰路につきました。
(本公演の制作途中でのインタビューはREALKYOTO内のページで読むことができます。)(Y.O.)
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# by matsuo-art | 2016-07-10 20:46 | 舞台  

PLANKTON - 漂流する生命の起源(京都市美術館別館 2階)

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5月22日まで京都市美術館別館で開催されていた「PLANKTON - 漂流する生命の起源」という展覧会に行ってきました。これは京都市内の様々な会場を使って行われていた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2016」というイベントの一つで、クリスチャン・サルデ(写真・映像)、高谷史郎(インスタレーション)、坂本龍一(サウンド)という3者のコラボレーションによるものです。

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フランス国立科学研究センター名誉ディレクターでプランクトンの研究者であるクリスチャン・サルデ氏の撮影した美しいプランクトンの映像をモチーフに、アーティストの高谷史郎氏が音楽家の坂本龍一氏とともに静謐なアート作品に仕立てています。

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導入部分に展示された数々のプランクトンの写真を経て、メインの会場ではたくさんの薄いモニターが床に直に設置されており、そこに動くプランクトンの映像が映し出されています。その様子を一つ一つモニターを廻って眺める観客や、会場の両サイドに設営された階段状のベンチに腰を下ろして少し高い位置から全体を見渡す観客もいます。そして、坂本氏によるアンビエント・ミュージックが会場を包み込んでいます。

暗い会場に浮かび上がる微小な、しかし驚くほど多様な生命体の有様はそれだけで見入ってしまう魅力があるのですが、今回の展示ではそうした凝視を許さないような工夫があるようです。それぞれのモニターに映し出されたプランクトンの映像は、短い間隔でストライプ状の映像に変換されたり、そのストライプの中から再び現れたり、そして全ての映像が同期して、全てストライプ状のノイズに変換されホワイトアウトしてしまうタイミングがあります。プランクトンの運動とともに、そうした映像の運動を追いながら、私も会場中のモニターの周囲を動き回っていました。

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クリスチャン・サルデ氏の著作は日本でも『美しいプランクトンの世界』(河出書房新社・2014年)が刊行されています。近いうちにその本も読んでみたいと思っています。(Y.O)
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# by matsuo-art | 2016-05-24 16:22 | 展覧会  

謹賀新年 2016年

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新年明けましておめでとうございます。
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# by matsuo-art | 2016-01-01 00:10  

King Crimson 2015 キングクリムゾン 日本公演 フェスティバルホール大阪

12年ぶりに来日したキングクリムゾンのコンサートに行ってきました。12月13日(日)の大阪フェスティバルホール公演です。
東京公演4日間、前日の大阪公演に続く2015 JAPAN TOUR 6日目の公演です。
12年ぶり、ということは前回は行かなかったのだなあ、と思っているのですが、私がクリムゾンに感化されたのは高校、大学時代のまさに思春期。ロバート・フリップの虜になって、いくつかのバージョンが発売されたソロアルバム「エクスポージャー」も、レコード、CD合わせて4枚くらい持っているのではないかと思う。
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コアなファンには承知のとおり、クリムゾンの絶頂期は1973~74年のライブ演奏にあります。真骨頂はディストーションのかかったヘビーな音による即興演奏で、その緊張感と発散力の強度は他に類を見ません。80年代に再結成されてからもフォローし続けて日本公演にも3度行きましたが、90年代のヌーブォーメタル期が進むにつれ、その音色やインプロの在り方に不満を持ち、失礼ながら見切らせていただいておりました(74年の演奏を基準にしたら、仕方ないですよね)。

そんな訳でしばらく離れていたのですが、40周年記念BOXシリーズ発売で再び付き合い出したある日、気が付けば2014年から新メンバーですでにアメリカツアーを開始しているというではないですか!発売された「Live at the Orpheum」ではアイランド期の楽曲と「The Construction of Light」の演奏が実に素晴らしい。過去の曲を演奏することを拒んできたあのフリップが、数々の名曲をたずさえての再結成ツアーです。

公演前に私が一番期待していたのは「Larks’ Tongues in Aspic, Part 1」の演奏です。今回のツアーでは毎回ではないにせよ、このPart1を演奏してくれているのです。フリップの生演奏でこの曲を聴ける可能性があるなんて誰が想像していたでしょうか。すでに終了した公演のセットリストを見ると、「Larks’ Tongues in Aspic, Part 1」、同じく「Part 2」、「Red」の3曲は演奏したり、しなかったりのようなので、できればPart1を演奏してくれますように!と願いながら行ってきました。

少し時間を押しての開演だったと思います。「演奏中は撮影禁止」などの内容を書いたステージ前の立て看板が取り外されると、自然と会場から拍手がわき起こります。「トニー・レヴィンがカメラを向けたときだけ、撮影OK」というフリップ直々のアナウンス放送後、いよいよメンバー7人の登場で盛り上がる会場。三つ揃えのスーツで現れたフリップはジャケットを脱いで脇に掛け、いつものようにスツールに座ります。昔はフリップだけ照明が逆光で暗く、顔もほとんど見えませんでしたが、今回は他のメンバーと同じ明るい照明。

1曲目はアルバム「ポセイドンのめざめ」からの「Peace - An End」で静かにスタート。その後、「メルトダウン」を含むハードな新曲群へとなだれ込みます。テロなど不安定要素の多い社会情勢と震災による原発問題を抱える日本を意識しての選曲、と私は受け取りましたがどうでしょうか。

「Live at the Orpheum」発売時に疑問視もされていた今回のトリプルドラム編成、ドラムが3人も必要なの?という声は当然ですが、実際に目の当たりにした印象は、これはまさに新たなドラムバンドだ、ということ。ステージ前列に陣取った3人のドラマーの動きが常に目を引き、主要なパフォーミングアクトを担っています。3人でたたいている時もあれば、2人でだったり、1人だったり。このパートではマステロットがたたいているのか、などそれぞれの役割を見る楽しみもあります(ギターも2人いるしね)。マステロットが左側でハードに体を動かしてたたくのに対して、右に位置取るハリソンが姿勢を正しくしてたたくのも好対象。中央のリーフリンはシンセ(機材には詳しくありませんが、まさかメロトロンではないよね?)に専念していることが多いことも分かりました。

前半のヌーブォーメタルな選曲の後、7曲目で「The Construction of Light」、以下「Pictures of a City」「 Easy Money」「A Scarcity of Miracles 」「The Letters」「Sailor's Tale」と続きます。73~74年のライブで数々の即興バリエーションを産んだ「 Easy Money」、アイランド期の名作「Sailor's Tale」を生で聴けて感涙。フリップとは反対側の向かって左側席だったからか、フリップのギター音がもう少し大きかったらなあ、とも思いましたが、後半にかけてあの独特の音色のサスティーンの効いたギターソロも多くなり、オペラグラスの揺れを押さえながら、演奏する様子をアップで見させていただきました。

場内照明が一面赤に変わる演出の「 Starless」で一旦終了。声援に答えるトニー・レヴィンがカメラで観客席を撮影していることに気付き、こちらも慌てて鞄からスマートフォンを取り出してなんとか撮影したのですが、レヴィンが撮影するのはアンコールが終わってからだと思って何も用意してなかったのは不覚でした。
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アンコール1曲目は「The Court of the Crimson King」、そして2曲目が「21st Century Schizoid Man」。
最後のこのスキッゾイドマンの演奏は圧巻でしたね。私はコンサート全体の音量をもう少し下げてもらえたらなあと思っていたのですが、というのも静かなパートも音量が大きくて激しいパートとのメリハリが少なく、音量を若干下げれば音の輪郭もさらにクリアになるのかなと。しかし、スキッゾイドマンの演奏は最初から最後まで、最大の音量音圧が実にふさわしい圧巻の演奏でした。中間部のソロパートは最初にフリップ、次にコリンズ、最後にハリソンで、このハリソンのドラムソロが実に力強い。怒濤のような演奏で終了しました。
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※フリップが前の人の手で隠れて見えない。

個人的にはパート1が演奏されなかったことに少々落胆。アンコールでスキッゾイドマンの始まりを知らせる風の効果音が聞こえると、うれしいやら悲しいやらで複雑な気持ち。スキッゾイドマンの後にパート1ってことはないでしょうからね。宮殿かエピタフ、どちらか抜いてでも演奏してほしかった。

アンコールは3曲あるかな、と思っていたのに2曲。家に帰って他の日本公演を調べてみたら、東京公演の9日と10日も3曲ではなく2曲。でもよく見ると他の公演は全部で18曲演奏していて、7日などは19曲も演奏している。それに対して私が聴いた13日は15曲止まり。しかも前日12日の大阪公演はパート1とパート2とレッドと、日替わりと思われた3曲とも演奏しているではありませんか!それに引き替え我々には、よく考えればそのいずれも演奏されていない!
どうやら曲目的には、はずれくじを引いてしまったようです。

ただ、物品販売で迷って買った「The Elements Of King Crimson 2015 Tour Box」と「RedTシャツ」は、どちらも当たりだった。ツアーボックスセットはブックレット付きのCD2枚組。先に発売されていた2014ツアーボックスセットに毛が生えたものだろうと思い、初音源が数曲だけ入った寄せ集めだろうけれど丁度持ってなかったし、ということで買ったのだが、それは私の勘違いで全くの別物だった。新たに2015ツアー用に編纂されたもので、全29曲のうち20曲がpreviously unreleased on CDとなっており、うち5曲が2014年のリハーサルorライブ。実際、私自身は聴いたことがないものがほとんどで、「Part 2」の2014年リハーサル音のあとに'74年の「Part 2」ライブ音源が続くなど心憎い演出もあり、寄せ集めでありながら全体で聴いてもうまく聴ける構成になっている。CD2のラストには、このメンバーによる2014年10月サンフランシスコ「スキッゾイドマン」が収録されているのもうれしい。
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アマゾンでも買えるようだが、会場で買えば特性タオルもオマケに付いて3,000円。こちらの方が断然お得。私は2,500円のツアーパンフを買わなかったのでわからないけれど、今から残る高松、東京、名古屋公演に行く人は、こちらの方が買い、だと思います。

前回、ライブに行った時買ったTシャツは、サイズが大きすぎてほとんど着ることがない状態だったので、若干お高いTシャツもリベンジで買ってみました。アメリカサイズであることを販売員さんに確かめてMではなくSサイズを買ったのだが、家に帰って着てみるとぴったり。ちなみにフェスティバルホールの物品販売はチケットを持ってない人でも並んで買えるように会場外に設置されていて、なんだか嵐のようだなあ、と思ってびっくりした(嵐ファンの娘は物品を買うためだけに会場に行ったりしていた)。

追伸
トニー・レヴィンのウェブダイアリーに大阪公演の模様がアップされました。2日目の会場風景に私も写っているはずですが、前から18列目の位置は小さくて確認できない。
これを見ると、1日目と違って2日目は3階席の空席が目立ちます。そんなこともセットリストに影響したかなあ。(n.m.)
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# by matsuo-art | 2015-12-15 11:06 | 音楽  

パウル・クレー展

兵庫県立美術館で催されている『パウル・クレー』展に行ってきました。
クレーの作品は画集で見たり、展覧会の中の数点あを見たことがありますが、まとめてたくさんの作品を見る初めての機会でした。

とても楽しい展覧会だったのですが、その楽しさは行く前に想像していた方向とまるで別角度の楽しさで、言葉で言い表すなら素材のワンダーランドという具合でした。
クレーの作品では、使われている素材のバリエーションが多く、支持体、画材ともに不思議な組み合わせやこだわりにあふれており、作品キごとのキャプションにそれぞれ細かく書いてあり、それを追いかけながら作品をたどりました。
例えば、わたしがとても気に入った『いにしえの庭に生い茂る』という絵では
<紙に白亜の地塗り、水彩、厚紙に貼付(本紙上下にペンによる帯)>
となっています。
他の作品『植物的で不可思議』では
<紙に黒の地塗り・水彩、水彩で彩色した第二の紙に貼付、さらに厚紙に貼付(本紙および第二の紙の外周に水彩・ペンによる枠)>
であったり、また別の作品『小道具の静物』では
<ラミー織り布に油彩、厚紙に貼付(本紙外周にグワッシュ・ペンによる枠)>
となっていてます。
紙をあらかじめ彩色しておいたり重層的に貼ったりし、その作品の縁取りにまた別の紙を彩色して貼ってあったりします。
紙の種類もいろいろで、布地も多く使われています。
図版ではにじみに見えていた絵の端の部分は、実は紙の漉いた端や布の繊維だったりしました。
糊絵の具というものも多く使われていました。
糊絵の具は市販のものではなく、クレー自身がいろんな素材を絵の具に混ぜ込んだオリジナルの画材だそうです。

この展覧会には「だれにも ないしょ。」という副タイトルがついています。
それはクレーの作品を読み解くひとつの鍵が『秘密』という言葉で表されます。塗りや貼り込の層となった作品の内側に隠された表面から見えない絵、モチーフとして繰り返し現れてくる記号や図像、いくつかの作品をつなぎ合わせることで1つの絵としてつながっていることなど、作品からはさまざまな秘密が見え隠れします。展覧会は作家の仕掛けた様々な秘密に向き合う形で構成されています。
わたし自身はテーマや図像の象徴的な扱いや意味性、世界観やモチーフそのものにはあまり惹かれることはなく、ただひたすら素材の森と、作品の見え方に没頭し楽しみました。

その中で、特に気に入った作品をいくつか取り上げます。
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さきほどあげた
『いにしえの庭に生い茂る』
<紙に黒の地塗り・水彩、水彩で彩色した第二の紙に貼付、さらに厚紙に貼付(本紙および第二の紙の外周に水彩・ペンによる枠)>
これは絵の見え方も、主題も一番好きだった作品です。

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『独国旗のある朝食』
<紙に水彩・ペン・鉛筆、厚紙に貼付>
ポストカード大の作品。小さいのに強くひきしまっています。

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『アフロディテの解剖学』
<紙に白亜の地塗り・水彩、厚紙に貼付>
図像の混じり合った見え方と、細かい表現、色合いに惹かれます。

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『快晴』
<紙に膠の地塗り・水彩、厚紙に貼付>
明快ですかっと気持ちがよい作品です。

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『都市の境界』
<紙に水彩、厚紙に貼付>
これは点の並びや形、配置や動きで作品を動かしていく様子が、水墨画の山水画の「点」の表現と近く、興味深い。
クレーの作品にはこの作品以外にも、モチーフをそのものを表現しながらも、色の流れ、筆致のあり方などの絵の構成要素のそれぞれが、別の次元で空間をが存在するような複雑な見え方をするものがあり、わたしが「幸福の絵画」と勝手に名付けている池大雅の作品の効果を思い出させ、うれしくなりました。

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『柵の中のワラジムシ』
<綿布にパステル、厚紙に貼付>
パステルの油が彩色されていない白地の綿布の部分ににしみ出しているのが見える。
画集で見たときは好きになれなかったのだが、綿布のあぶらのじわっとした存在感が非常に柔らかで愛しい作品で、大好きになりました。

実はこの展覧会は明日11月23日(月・祝)で終わります。
見に行ったのは一週間ほど前のことでした。作品のよい印象が長く抜けずに頭の中に響いているので、ぎりぎりとなりましたがよい展覧会として紹介させていただきました。

『パウル・クレー』だれにも ないしょ。
2015年9月19日(土)〜11月23日(月・祝)
兵庫県立美術館
http://www.artm.pref.hyogo.jp

                                  (Y.M.)
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# by matsuo-art | 2015-11-22 23:07