「武満徹・音楽創造への旅」立花隆著/文藝春秋刊

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今年は作曲家・武満徹(1930〜1996)の没後20周年ということで、各地で演奏会が開かれたり、彼の音楽を概観するCDが発売されたが、おそらく彼を記念する事業の中で今年最大級のものは立花隆氏による「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋刊)の出版だったのではないだろうか。

この本は全780ページ、各ページ2段組みでマージンほとんどなしという文字ぎっしりの大著で、半月ぐらいの間どこに行くにも持ち歩いて読み進めたが、あまりにも面白い本で読み終わるのが惜しいくらいだった。
ジャーナリスト・評論家の立花隆氏による武満自身へのロングインタビューをもとに、それに武満の著作や他のインタビューからの引用、関連人物への取材、その他さまざまな資料を縦横に駆使して武満の生きた時代と文化の状況、その音楽創造の本質を浮かび上がらせている。
「タケミツ」という幹から様々に伸びる、人や物事のひとつひとつを枝葉に至るまで立花氏らしく執拗かつ丹念に追いかけて行くとこんな分厚い本になってしまった、という感じだが、とりわけ素晴らしいと思ったのは、武満とその関連人物 (同時代の音楽家仲間、芸術家、評論家、プロデューサーやエンジニア、家族や友人たち)の交流や活動の軌跡が生き生きと描かれ、そのことがそのまま戦後の(美術を含む)前衛芸術の状況の貴重な記録にもなっているところだ。

私自身はこれまで、手持ちの何枚かや図書館で借りてきた武満のCDを時折聴くことはあったが、どちらかというと「一応聴いておかなきゃ的」な聴き方であって、それほど集中的に聴き込むということはなかったし、武満の何冊かの著書(「音、沈黙と測りあえるほどに」や「時間の園丁」、大江健三郎との共著の「オペラをつくる」や小澤征爾との共著の「音楽」など)もざっと目を通してそのまま放置していたような状態だった。
武満徹といえば、アカデミックな音楽教育を受けることなしに独学で音楽を始め、前衛的な音楽の創作に取り組んできた20世紀を代表する作曲家であること、若い時にピアノがなかったので紙の鍵盤を持ち歩いて練習したり、見ず知らずの家に上がりこんでピアノを弾かせてもらったりしたこと、最初期のオーケストラ曲「弦楽のためのレクイエム」がストラビンスキーに激賞されたことで一躍有名になったこと、尺八と琵琶の独奏をオーケストラに取り入れた曲「ノーヴェンバー・ステップス」が、ニューヨーク・フィルによって委嘱され小澤征爾の指揮で演奏されたことで世界的な評価を得たこと、前衛音楽の分野ばかりではなく特に映画音楽の分野で多くの仕事をしたこと…などの良く知られたエピソードがある。そうしたエピソードが私の中でも一人歩きしていて、彼の音楽を聴き込み、そもそも彼の音楽とは何か、その可能性はどのようなところにあるのかを考えるまでには至っていなかった。音楽にしても、その文章から感じられる音楽をめぐる思考にしても、優れた芸術家の作品として無視できないものでありながらも、その音楽の一見取っ付きにくそうな外観に加えて、今までの私の表現上の問題や私を取り巻く時代性とは何か縁遠いものであるようにも感じられていたのだった。

しかし、この「武満徹・音楽創造への旅」という本を読み、同時にそこに出てくる武満の音楽を一つ一つ追うように聴いていくことで、それぞれの曲が生まれる背景やその内容、方法論を知ることができ、今まで漠然と聴いてきた彼の音楽が私のなかで身体を伴ったものとして立ち現れてきた。
武満徹という一人の芸術家の、ある状況のなかで必死に、何か自分のなかにある止むに止まれぬものを書き表そうとする姿勢は、芸術のジャンルや時代性の違いにもかかわらずに共感できるものだし、実際に彼の生み出した音楽は改めて聴いてみるとひどく美しいものだった。(彼の友人のジャスパー・ジョーンズやジョン・ケージからは「美しさにこだわりすぎる」と批判されてもいたらしい。) そのほかにも、日本という場所で西洋音楽をやるということのジレンマとそのことにどのように意味を見出すのかという問題を抱えざるをえないということや、一つ一つの作品を構想する上でどのような課題を自分に課し、方法論を発見し、表現として結実させて行くのかを誠実に考え詰めていくことなど、読んでいて共感できることも多かった。

最も強く印象に残ったことは、前述の通り、彼が終戦後の日本の文化的な状況(海外の同時代の芸術の情報がきわめて得にくい状況)の中で、驚くほど沢山の人に直に出会い、親交を結び、協働しながら、影響を受け取ったり与えたりして新しい音楽を生み出すべく自らの作曲に生かし、活動の場を広げたりしてきたことだ。(その中には本書に出てくるだけでも、先に挙げたジョーンズ、ケージ、小澤の他に、瀧口修造、芥川也寸志、黛敏郎、秋山邦彦、黒澤明、観世寿夫、浅利慶太、オリヴィエ・メシアン、鶴田錦司、横山勝也、ルチアーノ・ベリオ、高橋悠治、一柳慧、岩城宏之、ヤニス・クセナキス、勅使河原宏、ツトム・ヤマシタ、杉浦康平、宇佐美圭司、ジョージ・ラッセル、ピーター・ゼルキンなどなど…ジャンルを超えた名前を見いだすことができる。) 孤独に生み出され、音と沈黙の間に屹立するかような彼の音楽も、様々なレヴェルでのネットワークの結び目の中から誕生していたのかもしれない。

この本は、著者・立花隆氏の執拗な取材と構築によって、武満の音楽の核心を明らかにするとともに、音楽をただ聴くだけでは見えてきにくい側面をも門外漢にも理解しやすい形で明らかにしていて、私にとってすごく大事な読書体験となった。(Y.O.)
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# by matsuo-art | 2016-12-05 13:39 |  

草木染めー彼岸花

1週間前になりますが、雨続きの天候の合間を縫って、大阪・能勢に在住の染織家の山本有子さんの工房を訪れました。
山本さんは自ら育てた藍を使った藍染めの作品を中心に活動しておられます。

今回の訪問の目的は、藍の生葉が穫れる時期にしかできない藍の煮染と、季節の草木染めを教えて頂くことでした。
この日はお彼岸が終わり彼岸花が満開で、彼岸花染めを体験させていただきました。
今年は彼岸花が少し遅いそうです。

シルクと綿を格子状に織った薄いストールを染めることにしました。
彼岸花の茎から花まで全体を10センチほどの長さにパキパキと折った物に水を加えて鍋で煮だし、ザルでこして染め液を作ります。
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あらかじめお湯に浸し糊を落としたストールを染め液のたっぷり入った鍋で煮ます。
下の写真は染め液に浸けたtころです。
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その後水洗いし、媒染液(今回は酢酸アルミ)に浸し、水洗いの後、もう一度液につけて煮出しました。
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上の写真は媒染後、もう一度煮出しているところで、かなり色が濃くなっています。
染め上がったものがこちら。
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深めの緑色です。
色の薄い部分が綿、鯉部分がシルクです。シルクの方がより色が濃く染まります。

わたしが訪れる何日か前にヒガンバナで染めたものを見せて頂きました。同じストールを使用していましたが、もう少し黄緑がかった色合いでした。
その時はヒガンバナの咲き初めの頃だったそうで、真っ赤に咲いた満開の時期の方が色が強く出るのかしら、とのことでした。
時期や状況で色が異なる、コントロールしきれない自然に添った面白さが、とても豊かだと感じました。

同じ日に藍の生馬の発酵煮染め、ハンノキの染めもしました。
藍の煮染めはシルク素材で藤色に、ハンノキは綿を染めてグレー寄りの茶色になりました。

畑では藍が育ち、花を付けています。
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この後、藍は刈り取られ、葉を選別し、乾燥、発酵、と大変な作業を経、「すくも」という藍染めの原料になります。
美しいジャパンブルーの鮮やかな色はこの草から生まれます。
                              (yo.m)
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# by matsuo-art | 2016-10-07 23:55 | 工芸  

杉本博司展/クリスチャン・ボルタンスキー展/アニッシュ・カプーア展/杉本裕子展

群馬・高崎で開催された合気道の国際大会に参加するためと、東京でいくつかの展覧会を観るために、一日半のスケジュールで東京方面に行ってきました。
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1)まずは高崎での合気道国際大会です。竣工したばかりの高崎アリーナの広大なメイン会場を、世界中から集まって来た何百人もの合気道家が埋め尽くしています。私もその中で半日だけでしたがしっかり稽古してきました。(写真は稽古のあとの余韻の残る会場風景です。)
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2)東京に戻って、まずは銀座の中和ギャラリーの「杉本裕子展」です。杉本さんは松尾美術研究室の創設時に講師をされていたこともあります。今回の個展でもアトリエや日常の風景をキャンヴァスやビニールシートや木片に「パンクに」(?)描き、刻み、所狭しと並べ、杉本ワールド全開でした。(中和ギャラリーのウェブサイトのFacebookページで杉本さんの作品の写真を少し観ることができます。)
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3)上野の東京芸術大学の近くにあるSCAI the bathhouse に「アニッシュ・カプーア展」を観に行きました。このギャラリーはお風呂屋さん跡を改造したユニークな建物です。会場の広さの制約から展示されている作品はカプーアの作品としては小さめのものなのでしょうが、磨き込まれたステンレスの表面に無限が見える作品、お椀上の形態の内側にマットな黒の塗料が塗られ、表面がブラックホール化したかのような壁掛けの作品、そして闇の作品と一体化した建築の模型など、彼の特徴がよくわかる作品が緊張感をもって展示されていました。光を吸い込んでしまう表面と、鏡面のように光を反射する表面。あるいはその中間的なもの。これらの作品は一見トリッキーな見かけなのですが、単なる効果にとどまらず観るものを、その身体性への自覚から、瞑想的なるものへと誘う本質をもっているように思えました。
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4)白金台の東京都庭園美術館に「クリスチャン・ボルタンスキー展」を観に行きました。旧朝香宮邸のアールデコ調の室内にさまざまな声が響いています。別棟のギャラリーでは大きなインスタレーションが展示されています。ここでも無数の風鈴が響き合い、また、吊り下げられたたくさんの半透明の布が揺らめいています。一つ一つの作品は決して強い印象を残すものではありませんが、作品自身が発する響きがこの場所の持つ歴史性と響き合い、それを体験する私たちの何かを響かせる・・・そんな展覧会でした。
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5)最後は恵比寿の東京都写真美術館の「杉本博司展」です。美術館の3階と2階の二つのフロアを使った展示です。
「ロスト・ヒューマン」と副題がつけられた今回の展覧会は「人類の文明の終焉」がテーマです。3階部分は、杉本氏自身による文明終焉に至る33のストーリーが掲げられ、それに関連したインスタレーション(杉本氏による古代から現代までの考古学的/歴史的遺物の膨大なコレクションと自作の写真作品を構成したもの)が展示されています。
この階のはじめと終わりに「海」の連作から1点ずつが展示されているのですが、この作品が非常に印象的でした。人類の文明の栄枯盛衰に変わることなく太古より存在し続け、また未来へと存在し続ける超然とした「海」。この作品の持つ意味が、中間にある人間の文明の有象無象のドラマを挟むことによってより浮かび上がります。(さらにはバッハの「ゴールドベルグ変奏曲」の冒頭と最後のアリア、そしてそれに挟まれた変奏曲群という構造をも想起させました。)

2階の展示では、新作の「廃墟劇場」の連作と、京都・三十三間堂の千体仏を撮った「仏の海」が背中合わせに並べられていて壮観です。
とりわけ、今は廃墟となってしまった内部が崩れた劇場跡に改めてスクリーンを張り直し、そこに自らが選んだ末世の人間像がテーマと思わせる作品(「ディープ・インパクト」「ゴジラ」「渚にて」「異邦人」「羅生門」など)を映写し、その映写時間だけシャッターを開いて長時間露光した「廃墟劇場」の作品群は、モノクロの抑制されたトーンながら、中央で輝くスクリーンの光とそれに照らされた廃墟の内部のディテールの対比が異様なまでの象徴性を伴い、圧倒的な力を放っていました。(下の写真は同展のカタログです。)

この展覧会は、近未来において起こりうるかもしれない「文明の終焉」のシナリオを提示することによって、現在の人類共通の問題点を改めて問い直し、未来にそうした結果を生まないようにするための再考の機会だ・・・という意味の主催者による説明が掲示されていました。しかし芸術は両義性を持っています。この展覧会を実際に観て、この説明にあるような教条的なものにとどまらない、「ぞっとするような美しさ」を作品の中から感じました。それが一体何なのか、どこから来るものなのか、私の中に残った手触りの意味を考え続けています。
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まだまだ観たい展覧会や訪れたい美術館があったのですが、今回はこれで時間切れです。
最後は、上野から日暮里へと抜ける途中にある谷中墓地で見かけた猫です。(Y.O.)
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# by matsuo-art | 2016-10-02 11:00 | 展覧会  

東京・目白 古道具坂田

東京・目白の大通りの一本裏手にある、古道具坂田。
静かに佇む小さなお店ですが、ここには「デストロイヤー」と呼ばれる店主 坂田和實さんがおられます。6月に足を運ぶ機会があったので、ぜひこの機会に紹介したいと思います。

 かつて古美術や骨董品が名品であるかどうかは、そのものの歴史的価値、名のある作者かどうか、手間暇かけて高度な技術で作られているか、高級素材が使われているかどうかでした。学術的な知識を備えて初めて理解ができる教養人の嗜みの一つでした。しかし、そういった外から約束された価値基準の色眼鏡を外して、自分の感性を信じ、責任を持ってものを選ぶとはどういうことか。

 豪華さや完成度を基準にした固定観念に反する動きは古くは千利休のわび茶に始まり、柳宗理や青山二郎、白洲正子、小林秀雄といった骨董の目利きもまた、自由に自分の眼と直感でものを選ぼうとした人たちでした。坂田さんもそのような流れの先にいる人ですが、その眼はさらに自由に柔らく、使い込まれていたり、欠けていたり、骨董の世界からは見向きもされなかった名もなき日用品にまで及んでいます。

 お店のほの暗い空間に置かれているものは、刃のこぼれたヨーロッパの黒いナイフ、年季の入った銀のスプーン、どこかの民族の蜂取り籠、あちこち割れて継がれた陶器の器などです。ある時は焼きすぎた黒焦げの食パンや納豆の蓋、刺し子でツギハギしながら使われ続けたボロ布、使い古したコーヒーのネルドリップも置かれていました。
 文字で読むと「ガラクタ?」と思われるかもしれませんが、実物を見るとそれらが選ばれしものである理由に頷けます。どれもこれも国境と民族を超えて、世界中から集められた人の心を動かす質感、形、色の絶妙なバランスをもつ有力選手たちばかりです。それらはお店の空間の中で一番良く見える的確な場所に置かれています。

 もの自体がもつ美しさと既存の価値基準とはあまり関係がないというのが坂田さんの考えです。既存の価値を離れてものを選ぶということは、自分の価値観が明確でなければできません
。坂田さんがお店で売っているのは、「これを美しいと僕は思う。」という価値観です。坂田さんが現れたことで、多くの「眼」が開かれ、古道具のみならず多くの芸術家にも新しい視点の発見をもたらしました。静かに目の前のものと向き合い、それが本当に自分の望んでいることかどうかを考える姿勢には、私も大きな影響を受けた一人です。

 お店でお会いした坂田さんは飾らない人柄で、質問にも丁寧に答えて下さり、面白い話をあれこれと聞かせてくださいました。興味深かったのは、同じものでも欧米の乾いた気候の中で見るのと、日本の湿気の多い空気の中で見るのとでは見え方が違うということでした。絵の場合も日本の風土でよく見えていても、欧米の光の中ではよく見えないという様なことがあるのかもしれません。
 また、日本ではあらかじめ使い捨て用に作っている家具や器でも良いものが隠れていて面白い、とおっしゃっていました。外の価値基準に振り回されやすい日本人の特性から生まれているよう思いました。坂田さん自身も、たくさんの価値に揺さぶられ寄り道をしながら、今の「眼」になったとおっしゃっていましたが、坂田さんが絶えず発し続けてきた「あなたは自分のものさしを持っていますか?」という問いに、今回もまた襟を正され、目を洗われる思いでした。


〈坂田さんに関するお薦め〉

「ふだんづかいの器」という本の中で、骨董界切っての4人の目利きが、それぞれ自宅の食卓で愛用している器を紹介していますが、「とっておきの器を紹介してください」と言われて坂田さんは「掌」と答えたそうです。この案は編集者に却下されてしまいましたが、こう言ったエピソードからも坂田さんの自由で冴えた考え方がうかがえます。
本の中で紹介されている食卓には、アッと驚く視点で選ばれた食器たちが並んでいます。
https://www.amazon.co.jp/骨董の眼利きがえらぶ-ふだんづかいの器-とんぼの本-青柳-恵介/dp/4106020912

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「ひとりよがりのものさし」
坂田さんが芸術新潮にて連載されていた人気のエッセイは「ひとりよがりのものさし」という本になっています。
鋭い審美眼によって選び抜かれたものたちには、どれも息が抜けず、文章も飽きません。とても良い本なので、機会があれば探してみて下さい。
https://www.amazon.co.jp/ひとりよがりのものさし-坂田-和実/dp/4104644013/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1467213618&sr=8-1&keywords=ひとりよがりのものさし

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千葉の山奥には「as it is」という坂田さん主催の小さな美術館があります。
徒歩では最終のバス停から1時間強の山道を越えた所にありますが、こちらは大きな砂壁に囲まれて、さらに純度の高い坂田さんの「眼」に触れることができる静かな空間です。季節ごとに坂田さんの企画展や、坂田さんが信頼を寄せる個人のコレクターの企画展が行われています。
http://sakatakazumi.com

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〈追伸〉
予てよりいつか坂田さんの眼を通ったものを自分の眼を通して選んでみようと決めていました。
今回は2度目の訪問でしたが、これなら、と思えるものを発見したので、譲っていただきました。
古道具坂田の綺麗な光と空間を持ち帰れるものかどうか心配でしたが、帰って包みを開けてみると、、大丈夫だったようです。(y.m.)
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# by matsuo-art | 2016-07-15 12:55  

笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」(京都造形芸術大学・春秋座)

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7月3日、京都造形芸術大学・春秋座で開催された笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」を観に行きました。

しばらく前偶然に、出版されたばかりの笠井叡さんの著書「カラダという書物」(書肆山田)を手にし、その本の持つたたずまいに直感的に惹かれて買い求め読みました。そのとき、内容的には容易にうなづくことができないところもあるものの、「でもこの本はまぎれもなくこの人の身体のなかから出て来たものだけで出来ている、嘘偽りのないものだ」と思いました。それ以来笠井さんのダンスを観る機会をうかがっていましたが、今回ようやくその機会を得ることができました。

冒頭からブラームス交響曲1番の壮大で重厚な響きに乗って、笠井さんと山田せつ子さんとのデュオで激しく踊り続ける鮮烈な始まり方でした。私の稽古している合気道の「呼吸法」に似た空間を抱え込みながら旋回する横の動き(「瀕死の”呼吸法”」!)と、突然崩れ落ちては素早く立ち上がる縦の動きを織り交ぜながら、舞台空間を大きく使って1楽章15分ほどを丸ごと踊り続ける圧巻のダンスでした。二人の身体からダンスがこんこんと涌き出してきます。
笠井さんと山田さんのユニゾンの動きはお互いの身体性の違いのままにズレていくのですが、それが逆に二つの身体の関係性を際立たせ、舞台上での響き合いを感じさせます。(終演後のアフタートークで、笠井さんは、ズレていくことは当然意図されていたことと話していました。)

その後も両者ともやはり長いソロを踊るシーンがあり、共演の4人の若手女性ダンサーの好演もあって、全体的に大変濃厚な1時間20分でした。人間の身体の動きだけでこれほどの時間を緊張感を維持してみせる振り付けや構成の緻密さと力技に感銘を受けつつ帰路につきました。
(本公演の制作途中でのインタビューはREALKYOTO内のページで読むことができます。)(Y.O.)
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# by matsuo-art | 2016-07-10 20:46 | 舞台  

PLANKTON - 漂流する生命の起源(京都市美術館別館 2階)

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5月22日まで京都市美術館別館で開催されていた「PLANKTON - 漂流する生命の起源」という展覧会に行ってきました。これは京都市内の様々な会場を使って行われていた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭2016」というイベントの一つで、クリスチャン・サルデ(写真・映像)、高谷史郎(インスタレーション)、坂本龍一(サウンド)という3者のコラボレーションによるものです。

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フランス国立科学研究センター名誉ディレクターでプランクトンの研究者であるクリスチャン・サルデ氏の撮影した美しいプランクトンの映像をモチーフに、アーティストの高谷史郎氏が音楽家の坂本龍一氏とともに静謐なアート作品に仕立てています。

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導入部分に展示された数々のプランクトンの写真を経て、メインの会場ではたくさんの薄いモニターが床に直に設置されており、そこに動くプランクトンの映像が映し出されています。その様子を一つ一つモニターを廻って眺める観客や、会場の両サイドに設営された階段状のベンチに腰を下ろして少し高い位置から全体を見渡す観客もいます。そして、坂本氏によるアンビエント・ミュージックが会場を包み込んでいます。

暗い会場に浮かび上がる微小な、しかし驚くほど多様な生命体の有様はそれだけで見入ってしまう魅力があるのですが、今回の展示ではそうした凝視を許さないような工夫があるようです。それぞれのモニターに映し出されたプランクトンの映像は、短い間隔でストライプ状の映像に変換されたり、そのストライプの中から再び現れたり、そして全ての映像が同期して、全てストライプ状のノイズに変換されホワイトアウトしてしまうタイミングがあります。プランクトンの運動とともに、そうした映像の運動を追いながら、私も会場中のモニターの周囲を動き回っていました。

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クリスチャン・サルデ氏の著作は日本でも『美しいプランクトンの世界』(河出書房新社・2014年)が刊行されています。近いうちにその本も読んでみたいと思っています。(Y.O)
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# by matsuo-art | 2016-05-24 16:22 | 展覧会  

謹賀新年 2016年

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新年明けましておめでとうございます。
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# by matsuo-art | 2016-01-01 00:10