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東京・目白 古道具坂田

東京・目白の大通りの一本裏手にある、古道具坂田。
静かに佇む小さなお店ですが、ここには「デストロイヤー」と呼ばれる店主 坂田和實さんがおられます。6月に足を運ぶ機会があったので、ぜひこの機会に紹介したいと思います。

 かつて古美術や骨董品が名品であるかどうかは、そのものの歴史的価値、名のある作者かどうか、手間暇かけて高度な技術で作られているか、高級素材が使われているかどうかでした。学術的な知識を備えて初めて理解ができる教養人の嗜みの一つでした。しかし、そういった外から約束された価値基準の色眼鏡を外して、自分の感性を信じ、責任を持ってものを選ぶとはどういうことか。

 豪華さや完成度を基準にした固定観念に反する動きは古くは千利休のわび茶に始まり、柳宗理や青山二郎、白洲正子、小林秀雄といった骨董の目利きもまた、自由に自分の眼と直感でものを選ぼうとした人たちでした。坂田さんもそのような流れの先にいる人ですが、その眼はさらに自由に柔らく、使い込まれていたり、欠けていたり、骨董の世界からは見向きもされなかった名もなき日用品にまで及んでいます。

 お店のほの暗い空間に置かれているものは、刃のこぼれたヨーロッパの黒いナイフ、年季の入った銀のスプーン、どこかの民族の蜂取り籠、あちこち割れて継がれた陶器の器などです。ある時は焼きすぎた黒焦げの食パンや納豆の蓋、刺し子でツギハギしながら使われ続けたボロ布、使い古したコーヒーのネルドリップも置かれていました。
 文字で読むと「ガラクタ?」と思われるかもしれませんが、実物を見るとそれらが選ばれしものである理由に頷けます。どれもこれも国境と民族を超えて、世界中から集められた人の心を動かす質感、形、色の絶妙なバランスをもつ有力選手たちばかりです。それらはお店の空間の中で一番良く見える的確な場所に置かれています。

 もの自体がもつ美しさと既存の価値基準とはあまり関係がないというのが坂田さんの考えです。既存の価値を離れてものを選ぶということは、自分の価値観が明確でなければできません
。坂田さんがお店で売っているのは、「これを美しいと僕は思う。」という価値観です。坂田さんが現れたことで、多くの「眼」が開かれ、古道具のみならず多くの芸術家にも新しい視点の発見をもたらしました。静かに目の前のものと向き合い、それが本当に自分の望んでいることかどうかを考える姿勢には、私も大きな影響を受けた一人です。

 お店でお会いした坂田さんは飾らない人柄で、質問にも丁寧に答えて下さり、面白い話をあれこれと聞かせてくださいました。興味深かったのは、同じものでも欧米の乾いた気候の中で見るのと、日本の湿気の多い空気の中で見るのとでは見え方が違うということでした。絵の場合も日本の風土でよく見えていても、欧米の光の中ではよく見えないという様なことがあるのかもしれません。
 また、日本ではあらかじめ使い捨て用に作っている家具や器でも良いものが隠れていて面白い、とおっしゃっていました。外の価値基準に振り回されやすい日本人の特性から生まれているよう思いました。坂田さん自身も、たくさんの価値に揺さぶられ寄り道をしながら、今の「眼」になったとおっしゃっていましたが、坂田さんが絶えず発し続けてきた「あなたは自分のものさしを持っていますか?」という問いに、今回もまた襟を正され、目を洗われる思いでした。


〈坂田さんに関するお薦め〉

「ふだんづかいの器」という本の中で、骨董界切っての4人の目利きが、それぞれ自宅の食卓で愛用している器を紹介していますが、「とっておきの器を紹介してください」と言われて坂田さんは「掌」と答えたそうです。この案は編集者に却下されてしまいましたが、こう言ったエピソードからも坂田さんの自由で冴えた考え方がうかがえます。
本の中で紹介されている食卓には、アッと驚く視点で選ばれた食器たちが並んでいます。
https://www.amazon.co.jp/骨董の眼利きがえらぶ-ふだんづかいの器-とんぼの本-青柳-恵介/dp/4106020912

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「ひとりよがりのものさし」
坂田さんが芸術新潮にて連載されていた人気のエッセイは「ひとりよがりのものさし」という本になっています。
鋭い審美眼によって選び抜かれたものたちには、どれも息が抜けず、文章も飽きません。とても良い本なので、機会があれば探してみて下さい。
https://www.amazon.co.jp/ひとりよがりのものさし-坂田-和実/dp/4104644013/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1467213618&sr=8-1&keywords=ひとりよがりのものさし

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千葉の山奥には「as it is」という坂田さん主催の小さな美術館があります。
徒歩では最終のバス停から1時間強の山道を越えた所にありますが、こちらは大きな砂壁に囲まれて、さらに純度の高い坂田さんの「眼」に触れることができる静かな空間です。季節ごとに坂田さんの企画展や、坂田さんが信頼を寄せる個人のコレクターの企画展が行われています。
http://sakatakazumi.com

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〈追伸〉
予てよりいつか坂田さんの眼を通ったものを自分の眼を通して選んでみようと決めていました。
今回は2度目の訪問でしたが、これなら、と思えるものを発見したので、譲っていただきました。
古道具坂田の綺麗な光と空間を持ち帰れるものかどうか心配でしたが、帰って包みを開けてみると、、大丈夫だったようです。(y.m.)
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by matsuo-art | 2016-07-15 12:55  

笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」(京都造形芸術大学・春秋座)

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7月3日、京都造形芸術大学・春秋座で開催された笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」を観に行きました。

しばらく前偶然に、出版されたばかりの笠井叡さんの著書「カラダという書物」(書肆山田)を手にし、その本の持つたたずまいに直感的に惹かれて買い求め読みました。そのとき、内容的には容易にうなづくことができないところもあるものの、「でもこの本はまぎれもなくこの人の身体のなかから出て来たものだけで出来ている、嘘偽りのないものだ」と思いました。それ以来笠井さんのダンスを観る機会をうかがっていましたが、今回ようやくその機会を得ることができました。

冒頭からブラームス交響曲1番の壮大で重厚な響きに乗って、笠井さんと山田せつ子さんとのデュオで激しく踊り続ける鮮烈な始まり方でした。私の稽古している合気道の「呼吸法」に似た空間を抱え込みながら旋回する横の動き(「瀕死の”呼吸法”」!)と、突然崩れ落ちては素早く立ち上がる縦の動きを織り交ぜながら、舞台空間を大きく使って1楽章15分ほどを丸ごと踊り続ける圧巻のダンスでした。二人の身体からダンスがこんこんと涌き出してきます。
笠井さんと山田さんのユニゾンの動きはお互いの身体性の違いのままにズレていくのですが、それが逆に二つの身体の関係性を際立たせ、舞台上での響き合いを感じさせます。(終演後のアフタートークで、笠井さんは、ズレていくことは当然意図されていたことと話していました。)

その後も両者ともやはり長いソロを踊るシーンがあり、共演の4人の若手女性ダンサーの好演もあって、全体的に大変濃厚な1時間20分でした。人間の身体の動きだけでこれほどの時間を緊張感を維持してみせる振り付けや構成の緻密さと力技に感銘を受けつつ帰路につきました。
(本公演の制作途中でのインタビューはREALKYOTO内のページで読むことができます。)(Y.O.)
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by matsuo-art | 2016-07-10 20:46 | 舞台