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六甲ミーツ・アート 芸術散歩2014

六甲山上に数々のアート作品を展示する「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」は、ピクニック気分で楽しめる現代アートの展覧会です。21日の日曜日がよい天気だったので、行ってきました。

六甲高山植物園、六甲オルゴールミュージアム、六甲山カンツリーハウス、六甲枝垂れ、六甲ガーデンテラスと一応主要会場は回ったものの、急遽午後から行ったので時間がなく、見れていない作品もあります。それでも、六甲散策として楽しむことのできる企画になっています。

参加アーティストは招待作家と公募作家とで構成されていています。大学生の娘が1週間ほど作品制作の手伝いに通っていたのですが、おもに手伝っていたという竹久万里子さんの作品「たまゆら」が公募大賞グランプリを受賞しました。緑の中に軽やかな音がする無数の鈴をつり下げた作品です。

妙なかぶり物をして会期中公開制作している作家さんもいるので、うまくいけば会えるかもしれません。(n.m.)

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by matsuo-art | 2014-09-23 11:29 | 展覧会  

ヨコハマトリエンナーレ2014

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ヨコハマトリエンナーレ2014に行ってきました。メイン会場の横浜美術館と新港ピアのほか、周辺の文化施設なども取り込んだ大掛かりなフェスティバルです。私は滞在時間の制約の為、メイン会場のみの観覧でした。

今回のヨコハマトリエンナーレについてはREALKYOTOというウエブサイトで京都造形芸術大学大学院学術研究センターの浅田彰所長が詳細なレポートをアップしており、この展覧会や出品作に対する理解を助けてくれます。また芸術新潮誌でもアーティスティック・ディレクターの森村泰昌氏自身が登場して本展の制作過程を紹介していました。展覧会の全体像についてはそちらの記事にお任せして、ここでは私が撮影した「いいな」と思える作品のディテールを中心にご紹介します。(会場では撮影可の作品と撮影不可の作品が細かく指定されていて、アップしてあるのは撮影可のもののみです。)

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まず、横浜美術館のある広場の前に来ると本展出品グループの一つである「釜ヶ崎芸術大学」の「炊き出しカフェ」のテントがお出迎えしてくれました。この日は昼にこの場所で炊き出しの提供がありましたが、私は時間の関係で味わうことが出来ず残念。

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その「釜ヶ崎芸術大学」のコーナーより。大阪・西成のあいりん地区で美術、詩、音楽、演劇など様々な芸術活動を展開しているグループです。このコーナーではその活動の一端を紹介しています。

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釜ヶ崎芸術大学のコーナーにあった通天閣の模型(素材はスーパー玉出の広告をこより状に丸めたもの)。通天閣の向こうに見えるのは、巨大なアートのゴミ箱「アート・ビン」(マイケル・ランディ)。

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本展のハイライトの一つといっていい「Temporary Foundation」のコーナーより。法廷がDJブースに?
この作品は林剛+中塚裕子が1983年から1985年に「京都アンデパンダン展」で発表した「Court」シリーズを再構成したもの、その一部。

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法廷の反対側はテニスコートになっている。この作品に関しては以前このブログ(「犬と歩行視 Part-2」展)でも紹介したことがあります。

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坂上チユキ氏の作品。あまり大きくない画面に極小のタッチでびっしりと描き込まれた、何かスピリチュアルなものを感じさせる抽象絵画にじっくりと見とれました。

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横浜美術館前に堂々と置かれたヴィム・デルボアの巨大なトラックの一部。コールテン鋼をレーザーカッティングしたものを構成してつくってあるのですが、繊細なディテールの為に重々しさをあまり感じさせません。

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新港ピア会場に移動。これは大竹伸朗氏の作品の一部。今回の作品は、昨年、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で観た個展での作品(これも以前このブログで紹介しました)を凝縮したような感じ。前回の作品は大竹氏の作品のトレードマークとも言えるスクラップブックが象徴的に小屋の中に内蔵されていましたが、今回の作品では、そのスクラップブックがそのまま巨大になり、その中に部屋を内蔵して、さらに移動可能な姿で出現した!という、私としては最も惹き付けられる作品でした。

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スクラップブックのページの下部から漏れ出す青い光が美しい、と思いました。

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そして最後は、やなぎみわ氏の巨大な移動演劇舞台です。コンテナの屋根部分が開いて上方に立ち上がるので、圧巻です。この移動舞台で中上健次の小説「日輪の翼」を舞台化したものを上演してまわるプロジェクトのようです。

他に強く印象に残ったものとしては、太平洋戦争の中で書かれた北原白秋、中勘助、高村光太郎、瀧口修造らの詩をおさめた本のコレクションを展示したコーナです。それらは戦争賛美的な内容のものや国家主義的な内容のものであり、戦後は絶版になるなどして「忘却された」ものです。(このコーナーでは、その隣に「時流に迎合しなかった画家」としての松本竣介の手紙が対比的に並べられています。)レイ・ブラッドベリの「華氏451度」のペーパーバックが大量に積み上げられたものが展示されてもいるこのセクションが、今回のトリエンナーレで森村氏が掲げたテーマ、「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」を最も図式的に現していたと思います。

時間があれば、たくさん展示されていた映像作品(とりわけ足立正生の脚本「記憶を超えて」をもとにした「The Ugly One」)をゆっくり観たかったですし、配置されたテキストを参照しながらコンセプチュアルな内容の作品群をゆっくり読み解きたかったですが、総じて、このような大きな展覧会が陥りがちな総花的なものになっておらず、内容の濃い展覧会のように感じました。(Y.O.)
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by matsuo-art | 2014-09-22 11:30 | 展覧会  

村上華岳の花隈・元町

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松尾美術研究室は神戸・元町の北側、花隈城趾の東隣に位置していますが、花隈と言えば、大正〜昭和初期の日本画家・村上華岳邸のあったところです。
村上華岳は私の真に敬愛する画家の一人で、歳を取るごとに彼の画業は私の中で存在が大きくなっています。華岳の家が花隈にあったことはずいぶん前から知っていて、暇がある時には界隈を華岳邸跡を探して回るのですが、この界隈は入り組んだ路地や坂道が多く、どうにも探し切れていませんでした。
しかし先日の散策時に、こんなに探しまわったのが嘘のように、かなり分かりやすい場所であっさり見つけてしまいました。今は花隈自治会館という建物になっていて、その前に立っている石碑だけが華岳の家がかつてここにあったことを示すばかりです。

華岳は明治22年、大阪の生まれですが、この花隈の家で少年時代を過ごし、京都時代、芦屋時代を経て、昭和2年、40歳の時にこの家を引き継ぐ為に戻ってきます。そして昭和14年、52歳で亡くなるまでここで持病の喘息と闘いながら作品を描き続けました。

制作の合間には元町の洋書店や輸入物産店を巡ったり、大丸で買い物をしたり、旧居留地あたりにあった「ブラジレイロ」というカフェでコーヒーを飲んだりしていたようです。(この「ブラジレイロ」というカフェは大阪、東京、京都、神戸、福岡に店舗を持った老舗のコーヒー店で、現在は福岡にのみこの名前を引き継ぐ店が残っているようです。)
華岳の自らの絵に対する思いを綴った文章を彼の死後にまとめた「画論」(中央公論社)を読んでいると、時には長女を伴い諏訪山、再度山、布引の奥へと散歩したことが書かれています。

「たとへば諏訪山にしても、山は浅いが、入ってみればあれでなかなか幽谷らしい気分のところもあり、市井の気分転換にはもって来いである。
(中略)再度山など、今ではバスが通っているほどに開けてしまったが、それでもあの古い山門前の椎の木の下に座っていると、夏でも冷々たる嵐気を感じる間適なところである。このあたりは山は浅いが、立派な森林帯がずっと続いていて、幽遼な趣致にとんでいるので、私など時折出かけて、あの山門前で一休みをする、あの気分がどうしても忘れられない。
(中略)私は健康に恵まれないでこうして常に引籠もり勝ちなのは、私としては実際不幸な事だけれど、お蔭で静思瞑想の境地には自由に遊ばれるのでその点幸福だともいえる。負け惜しみをいうようだが、私はこうしていても非常な異国芸術への憧憬家で、印度とかエジプトとか、中央アジアなどの貌遠荒茫な天地に深い幻想をよせている。もし私が人並みに健康でありえたら、こうして花隈の一角に年中かがまりこんでいる人間ではなかったろうと思っている。」


華岳はジオット、フラアンジェリコなどの初期ルネッサンス美術、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ウィリアム・ブレイクなどの精神性への共感、あるいは中国やインドの文化芸術への憧憬を「画論」の中で頻繁に記しています。京都時代に国画創作協会の仲間(小野竹喬、土田麦僊、野長瀬晩花ら)たちが渡欧する中、持病の為に彼らとの渡欧が果たせなかった華岳は、後に協会を脱退し、中央の画壇との関わりも断って、少年時代を過ごしたここ花隈の地で、「道心のうちに衣食あり」と彼が言うように自らの芸術をストイックに追い求め、「密室の祈り」(華岳)たるべき純度の高い絵を描き続けました。

しかしその一方では、港町神戸に集まる異国の文物や様々な国の人々の発する華やぎや六甲の山々からの涼風が、彼の憧憬を慰めていたに違いありません。

ところで、2005年に京都国立近代美術館で華岳の大規模な回顧展がありました。その折には私も2度会場に足を運び、華岳の絵の世界を堪能しました。それからもうすぐ10年になります。兵庫県立美術館も華岳の作品を多数収蔵しているとのことですし、神戸・芦屋と華岳の関わりに光を当てた大きな展覧会が、近い将来神戸で観られることを切望してやみません。(Y.O.)

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by matsuo-art | 2014-09-07 12:27 | 美術