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没後150年 歌川国芳展/大阪市立美術館

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大阪市立美術館で開催されている、歌川国芳展に行ってきました。

僕が行ったのは平日の昼間でしたが、お客さんが多くて、展示点数の多さと相まって、結構疲れました。かなり急ぎ足で観た(というのも、お客さんの流れに乗って観なければならなかったので、いつものようにあまりじっくりとは見続けていられない)にもかかわらず、2時間はかかってしまいました。

ただ、結論から言えば、これは必見の展覧会と言えましょう。

役者絵や美人画、歴史や説話をイラスト化したもの、旅の情景、戯画など、およそ画題にできそうなものは何でも、ありとあらゆるものが画題になっていて、それがどれも細部にわたってイマジネーションが豊かで、かつ非常に完成度が高いのです。
豪傑たちが活躍して魑魅魍魎と闘う様子、江戸の生活が生き生きと描かれている様、女性の着物や調度品のようなファッション的な興味など、いろいろな側面から楽しめます。
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基本的には浮世絵ですからサイズ的には大きくはないのですが(紙を何枚かつなげた、かなり大きなものもあるのですが)、そのサイズをフルに利用して、隅々にまで力動感溢れる効果が及ぶように計算された画面構成が見事です。
また、限定された色を組合わせて画面をつくる際の色彩構成の妙、画面いっぱいに詰め込まれたイメージが見辛くならないように、明度設計がきちんとされていることなど、造形的な面でも非常に勉強になること請け合いです。

個人的には、伝説的な豪傑を描いたダイナミックな絵ももちろん好きなんですが、それ以外に、一見地味ながらすごく感心した絵が2つありました。一つは「東都名所かすみが関」という、坂道の下から上方を見上げるような視点で行き交う人々を描いた絵です。これは透視図法として分析すれば、すごく複雑な遠近法です。東京は坂が多いので、こういう情景は日常茶飯に見られたはずですが、あまり描かれたことはないような気がします。リアリズム的な目とそれを表現する技術がこの時代に成熟して来たということではないでしょうか。(それは西洋文明との出会いがもたらしたものであると思いますが。)
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もう一つは「荷宝蔵壁のむだ書」というもので、たくさんの役者絵が壁の落書き風にわざと下手なタッチで描かれています。間には相合い傘やへたくそな字なども再現されていて、かなり笑えます。自分が面白いと思ったものは何でも絵にしてしまう、国芳の頭の柔らかさを感じました。
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あれだけたくさんの仕事をして行く上では、絵を描く技術に加えて、表現形式や説話や伝説などの知識、建築や衣装などの知識、流行の変化に対応して行くことなど、常に勉強を怠っていなかったはずです。そうした意味でも非常に刺激になる展覧会でした。

土日に行くとかなり混むのではないかと思いますが、時間に余裕を持って、覚悟を決めて行ってみて下さい。相応の満足感はあると思いますよ。(Y.O.)

平成23年(2011)4月12日(火)~6月5日(日)
休館:月曜日(5月2日は臨時開館)
一般1,300円/高大生900円
(なお、ウェブサイトから割引券を印刷して持って行くと、100円引きになります。)
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by matsuo-art | 2011-05-27 00:52 | 展覧会  

三沢厚彦「Meet The Animals-ホームルーム」展/京都芸術センター

京都芸術センターで開催されている三沢厚彦「Meet The Animals-ホームルーム」展に行ってきました。

京都芸術センターのことは以前、このブログで紹介したことがあります。京都・四条烏丸近くにある旧明倫小学校をリフォームして設立され、美術のみならず、演劇や映画などのグループの活動や発表をサポートしている、今や京都になくてはならないスペースになっています。

ひょうきんそうな動物たちの木彫で知られる三沢氏ですが、本展では、レトロな味わいの小学校内のあちこちに、たくさんの動物たちが展示されていて、楽しめる展覧会でした。
まずエントランスでは、うさぎさんとクマさんがお出迎えしてくれていますし、北ギャラリーには等身大(?)のペガサスさんがど〜んといらっしゃって、壮観です。南ギャラリーにも大きなバクさん、シロクマさん、オオカミさんなどが、のそっといらっしゃいます。4階の和室や2階の談話室にもその空間を活かした感じで動物さんたちが配置されていて、くすっと笑える感じです。会場に置いてあるパンフレットを片手に、三沢氏の動物たちを探して会場内を回る楽しさがありました。

会期はこの日曜までなので、興味のある人は是非行ってみてください。

下の写真は、京都芸術センター内に置いてあった雑記帳に描かれていた、三沢氏の作品の絵です。(Y.O.)
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三沢厚彦「Meet The Animals-ホームルーム」展
会期:2011年4月10日(日)―5月22日(日) 10:00~20:00
※会期中無休
場所:京都芸術センター ギャラリー北・南、談話室、和室「明倫」ほか
料金:無料
主催:京都芸術センター
〒604-8156京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町 546-2
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by matsuo-art | 2011-05-20 19:31 | 展覧会  

中平卓馬「キリカエ」展/Six

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大阪・心斎橋にある、コムデギャルソン大阪店のアートスペース「Six」で開催されている、中平卓馬「キリカエ」展を観に行ってきました。

中平卓馬氏のことは、60年代終わり頃の伝説的な「PROVOKE」の中心的なメンバーで、森山大道氏らとともに「アレ・ブレ・ボケ」が強烈な印象を残す写真を撮っていた写真家である、ということくらいしか知りませんでした。
クレー展を観に京都国立近代美術館に行った時に、この展覧会のフライヤー(ポスター)が置いてあって、そこに掲載されている写真に釘付けになってしまったのです。「これはすごいかもしれない。」

会場に行ってみると、Sixの壁面(右の面と正面)にB1版くらいの写真(縦長)が、印画紙そのままの状態で上下2段にずらりと、整然とピンで貼付けられていて壮観です。左側には、A4くらいの写真がこれも壁一面にびっしりと貼られています。

生け垣、庭石、寝ているおじさん、池の亀、植木、看板、藁葺き屋根、鴨、焚き火、猫、鉄塔、岩、銅像・・・などなど、普段皆が目にしていながら普通は絶対に写真作品などにはしないようなモチーフが、画面いっぱいに大きく写し込まれています。
ただ、何気ないモチーフながら、それは何でも良いわけではないようです。写されているモチーフのチョイスに傾向のようなものがあるからです。
それから、写し方にも傾向のようなものがあります。縦構図で、晴天で、順光で、縦長のモチーフはほぼ必ずと言っていいほど左に10度ほど傾いて写っています。それから縁のないプリントだというのも特徴だと思いました。

こうした、選ばれたモチーフの即物性、そして写し方の特徴からは、写真家が自分の写真から徹底的に情緒的なものを排除しようという強い意志を感じます。モチーフの「左に10度の傾き」も、写されたものから象徴性を排除する方法であるように思いました。
つまり、目の前にある光とモチーフ表面の質感の有様、そのままの姿を、写真につきまとう(そして視覚そのものに宿命的にまとわりつく)「物語性」「情緒性」「象徴性」「記号性」などを徹底的に排除し、純粋な視覚そのものとして提示しようとしているのではないか、ということです。
撮られ、提示されているモチーフはあまりにのほほんとしたものばかりで、はじめは唖然とさせられるのですが、じっくり見ていくと、これらの写真は、言葉の正しい意味で恐ろしくラディカル(革新的/根底的)な問題を突きつけているということに気付くのです。

ただ、近代絵画ではセザンヌがこうした問題意識を持っていたと僕は思いますし、僕たちが普段やっているデッサンも、同じ問題意識の線上にあります。そうした意味では、この展覧会は、写真のみならずビジュアルアーツに関わる人は必見のものではないかと思いました。(Y.O.)

中平卓馬「キリカエ」
会場=Six
会期=2011年3月19日(土)〜5月29日(日) 月休(月曜が祝日の時には営業)
開廊時間=12:00〜19:00
住所=大阪市中央区南船場3-12-22心斎橋フジビル2F
(地下鉄御堂筋線心斎橋1出口徒歩2分、コム デ ギャルソン大阪店2階)
電話=06-6258-3315
入場無料
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by matsuo-art | 2011-05-18 11:02 | 展覧会  

「ペインタリネス2011」/ギャラリー白・大阪 開催中!

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お知らせが遅くなってしまいましたが、僕が今出品しているグループ展が、大阪・西天満のギャラリー白で開催中です。

僕は120号くらいの油彩と、紙に描いたアクリル画の小品の計2点を展示しています。
会期中、僕は16日(月)だけしか在廊できないのですが、もし近くまでお越しの際は是非お立ち寄り、ご高覧お願いいたします。

今、近隣の美術館などでは
国立国際美術館「風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから」「早川良雄ポスター展」
大阪市立美術館「没後150年 歌川国芳展」
大阪市立東洋陶磁美術館「浅川伯教(のりたか)・巧(たくみ)兄弟の心と眼-朝鮮時代の美-」
コムデギャルソン大阪 Six 「中平卓馬/キリカエ」展

などが開催中ですので、合わせて観に行かれるのも良いと思います。
では、よろしくお願いします。(Y.O.)

ペインタリネス2011
石川裕敏・小田中康浩・善住芳枝・田中美和・山田孝仁
2011.5.9-5.21 ギャラリー白
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by matsuo-art | 2011-05-11 10:28 | 展覧会  

「たけしアート☆ビート」ゲスト、杉本博司氏

明日11日のNHK BSプレミアムの番組「たけしアート☆ビート」のゲストは、現代美術作家の杉本博司氏です。
”ビートたけしが「今、一番会いたい」アーティストの創作現場に足を運び、創作の裏側を探る”というこの番組、バラエティ向けのアートを取り上げたりもしますが、3週間ほど前には祭国強氏にアメリカに会いにいく、というように現代美術のコアな作家の制作現場に潜り込んでいく、なかなか興味深い番組です。
今回も杉本博司氏を、NY・チェルシーにあるスタジオに訪ねます。
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杉本博司氏について詳しく知りたい人には、まずはこちらの本「BRUTUS特別編集-杉本博司を知っていますか」がおすすめ。

番組は毎週水曜 NHK BSプレミアム 午後8:00 〜8:57です。※再放送あり。(n.m.)
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by matsuo-art | 2011-05-10 22:07 | TV  

「若冲水墨画の世界」展

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GWの休みを利用し、京都相国寺の承天閣美術館に「若冲水墨画の世界」展を見に行ってきました。
鹿苑寺(金閣寺)大書院にあったもので、今回50年ぶりに全面大修理が完成し、その記念の展覧会で、50面全ての展示でした。
若冲の展覧会は毎回入場者が多く、少し前にTVの特集で若冲が取り上げられていたのもあって、混雑するのではないかと気構えて行きましたが、会場内では人を避けたり待ったりすることなく、穏やかに見ることができました。
作品保護のガラスと作品自体が近く、絵を数十センチのところからまじまじと眺めることが出来たのが、今回の一番の収穫でした。
襖絵は床面と同じ高さでの展示で、実際の目線の高さで見ることが出来ます。靴を脱いで上がる絨毯敷きのフロアに、しゃがんだり正座をしたりしてじっくり観察することで、描いた手順を想像しながら見ることが可能でした。

襖絵などはにじみの少ない紙かにじみ止めがされている紙が用いられているようで、非常に大雑把な言い方で当てはまらない部分もありますが、薄墨から起毛して、ある程度の流れや塊を薄墨で描いた上に、中くらいの濃さの墨、そして濃墨を置く描き方をしているところが多いように思えました。
まず薄い墨でふっくらした全体像が浮かび上がり、その上に少しずつ墨を濃くしながら描写が入っていく様子を、絵を前にして想像すると、絵がより活き活きと見えてきました。

また、薄墨で当たった後の次の墨が入るまでの時間を感じてみました。筆と筆の間に、墨の干渉がほとんどない箇所が多いように思いました。小さい図版で見るとにじませて描いているように見えていますが、この襖絵群は実際はにじみで作られた表現が少ないのです。逆ににじませながら描いている場所を見つけることが面白く、紙ごとに異なる効果を敏感に感じ取って描いている若冲の腕に尊敬するばかりでした。
背景全体にも薄い墨が施され、場所によっては、例えば鶴の背の線描部分などは方ぼかしにしながら背景と同化しているし、部分的には細い余白を残していたり、モチーフに重ねて塗ってありにじみを感じる部分もあります。その場その場での判断を筆にのせていく様を、追いかけて見ているような気がして、リアルに筆遣いを感じることができました。
そうやって、手の流れを追ってみると、以外に濃い墨の量が少ないことにも気付かされました。若冲の水墨は墨が薄いおぼろげな印象はなかったので意外でした。
思いっきり濃い墨を効果的に入れることで、しっかりした世界を作り出しているようでした。

今回展示には障壁画意外に掛け軸も数点展示がありました。
掛け軸の方はにじみが多い紙で、「筋目描き」の絵がたくさんありました。
墨で和紙に線を書くと、紙によって差はありますが、筆の通った跡が残ります。その墨同士の干渉で出来る筆跡の線を活かした描き方を「筋目描き」と呼び、若冲が用いた画法として有名です。筋目描きはふっくらしたにじみの強い紙にはっきり現れる傾向があります。
筋目の強く出る紙は、筆の一筆一筆が確実に画面に現れるので、実際にやってみないと分からないところもありますが、上記のような濃淡の墨の重なりの表現とはまた違った手順になりそうです。


今回、一歩踏み込んで絵に向き合えたことで、豊かな時間を過ごしました。
水墨画は一見地味な墨の世界ですが、和紙には厚みがあり、表面に乗った墨の発色だけではなく、紙の奥にしみこんだ墨の層が透過して見えてくる奥行きに、なんとも言えない深い味わいがあります。これは紙の表面だけに印刷した画集などでは味わえない美しさです。
実はこの展覧会は5月10日に会期が終わります。
展示されていた襖絵は承天閣が保存しているもののようです。今後もまた目にする機会があると思いますので、ぜひまた展示があれば足を運んで欲しいと思います。 (y.m.)

承天閣美術館ホームページ
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by matsuo-art | 2011-05-02 20:04 | 展覧会  

ピアノ夜話 その7/高橋悠治のジョン・ケージ「プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュード」

高橋悠治の存在を教えてくれたのは、やはり当研究室の塾長M先生でした。と言っても80年代、学生時代の話です。いつのことだったか正確な年は忘れましたが、何かの折り、梅田の紀伊国屋の音楽書のコーナーで「君が読むならこれが良いだろう」と、何冊か出ていた高橋悠治の著作の中から「たたかう音楽」を推薦してくれたのでした。ちなみに、M先生には柄谷行人の「探究1」や中上健次の小説、藤枝晃雄のフォーマリズム批評のことなど、後に僕のなかで大きな存在になる書物のことも教えてもらいました。

大学時代にはいろいろな先輩や同級生に、読んでおくべき、観ておくべき、聴いておくべき、本や映画や美術作品や音楽のことを示唆してもらったものです。
思いつくままに例を挙げれば、今は漫画家のS先輩には浅田彰の「逃走論」を、今は郵便局長のY先輩にはメルロ・ポンティと草間彌生の名前を、今は環境計画をしているM女史にはタルコフスキーの「ノスタルジア」を、今は陶芸家のS氏にはアンゲロプロスの「シテール島への船出」と蓮實重彦の「表層批評宣言」のことを、今は芸術学を研究しているD女史にはガルシア=マルケスの「百年の孤独」のことを、今はアメリカでデザイナーをしているT先輩にはフェリーニの「8・1/2」と「武満徹」の名前の読み方を、今は大学教師のW君には岡本太郎の「今日の芸術」のことを・・・などなど、大学時代に知ったこうした知識が幹となって、枝葉を広げていくことができたと思います。とりわけ、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」という小説のことを知ったのは僕にとって決定的な事件で、この小説に出会っていなかったら今頃絵を描いていないかもしれないくらいです。(Dさん、この場を借りて御礼申し上げます。)

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高橋悠治はクラシックや現代音楽を演奏するピアニストという枠に留まらず、作曲家として、著述家として、コンピューターを使った即興演奏、そして「水牛楽団」という民衆のためのうたを演奏するグループを組織するなど、その活動は多岐に渡っていますが、僕は、前述のように、彼の音楽よりも前に著作によって彼を知りました。

「たたかう音楽」「音楽のおしえ」など、その頃読んだ著作で印象に残ったのは、バッハやベートーヴェンといった今や権威になってしまった音楽とそれを取り巻く状況に対する歯に衣着せぬ批判や、オーケストラという指揮者を頂点としたハイアラーキー的組織ではなく、オーケストラを構成する団員自身が自発性を持って音楽を生み出していくような自主管理的な組織論の提案、そして、音楽が権力者のための道具や贅沢品に成り下がるのではなく、音楽が人々とともにある「生きるための音楽」を生み出すためにどのように実践すべきか、といった内容です。そして、そのような現代の音楽を巡る状況に対する批判的な姿勢と、来るべき新しい音楽を指向する非常に精緻な考察に大きな影響を受けました。
その一方、少し遅れて耳にしたエリック・サティやバッハの「フーガの技法」など、彼のピアノの演奏のあたかも夢見るようなトーンにも魅了されました。(著作から読み取ったトーンとの間に大きなギャップを感じたのは事実ですが。)

その後、彼の著作や発言、リリースされた音源を追いながら、いろいろな音楽や書物の存在を知ることができました。それは、シューマン、バルトーク、クセナキス、メシアン、ホセ・マセダ、グバイドゥーリナ、カラワンといった音楽家から、ソクラテス以前のギリシア哲学、老子、インド哲学、初期仏典、ウ゛ィトゲンシュタイン、カフカ、身体論などの著作の数々に至ります。(それらの全てを消化できているわけではなく、今も棚に積まれたままになっているものも多いのですが・・・。)

ジョン・ケージも、ちゃんと聴いたのは、この高橋氏の演奏「プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュード」が初めてです。ケージの音楽は学生時代にはなかなか手に入れにくかったし、見つけたとしても、良いかどうかわからない「前衛的な」音楽を生活費を削って買うのはかなり勇気がいりましたから・・・。
この演奏はもっとずっと後になって聴いたのですが、一聴して即座に気に入ってしまいました。こんなに面白くて美しい音楽ならばもっと早く聴いておけば良かった、と思いました。
第1印象は、「ガムランみたい」というものでした。ガムランのように残響が延びていくことはないのですが、その音階やリズムが東南アジアの音楽をイメージさせるように感じられたのです。

プリペアード・ピアノとは、ピアノから意外性のある音が出るように、ボルトやねじやゴムやプラスチック片や木片などをピアノ内部の弦の間に挟み込むことで準備(プリペアー)されたピアノのことです。それによって、ピアノという近代音楽を象徴するかのような楽器の脱構築、すなわち、その「美しい」が同時に制度的になってしまってもいる音色を変化させ、あたかも打楽器のような非常にプリミティブな楽器へと変貌させて、近代音楽によって位置づけられ拘束されたピアノという存在のあり方を解放することが目論まれているように思います。
まあ、そうした意図があっても、出てくる音が良くなければ、つまらない音楽になってしまうでしょうが、この演奏で高橋氏がプリペアーしたピアノからは、飛び出した音の粒子が空間をキラキラしながら舞い踊ったり、部屋の隅で音同士がヒソヒソと内緒話をしたり、目の前で追いかけっこをしたり、音と音が互いに呼び交していたり・・・など、そんなすごく可愛い音たちを、いつまでも見つめていたいような気持ちにさせられます。

「プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュード」という音楽は、ピアノのプリペアーのされ方によって、同じ楽譜であっても演奏される度に出てくる音は変わってくることでしょうし、また、一回の演奏内であっても、同じ音を次に弾いても同じようには音が出るとは限らないのではないかと想像します。一度音を出すと弦が振動して、挟み込まれた「異物」の状態が変化するでしょうから。演奏者は楽譜をみて、出てくる音とのギャップを常に感じ、楽譜と実音との関係をリアルタイムで再構築しながら演奏することを余儀なくされるのではないでしょうか。
そのようなケージの音楽は一般的に「偶然性の音楽」として理解されています。しかし、僕は「偶然性」という何だか無害な響きのむこうに、厳粛な何かがあるように思えるのです。突き詰めて考えていけば、全ての音楽は宿命的に一回性のものであることを、どんなに普遍的なものを目指そうとも、現実的には「偶然の織物(タペストリー)」の中に奇跡的に、そして一回ごとにその都度新たなものとして生まれるような存在であること・・人間や、この世界の有り様と同じように・・を、改めて思い起こさせるのです。(Y.O.)
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by matsuo-art | 2011-05-01 03:43 | 音楽