カテゴリ:美術( 21 )

 

ミュシャ展、草間彌生「わが永遠の魂」展 新国立美術館

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新国立美術館のミュシャ展と草間彌生展に行ってきました。
どちらも人気の展覧会でそれなりに混んでいる様子でしたが、まずはミュシャ展の方から行くことにしました。

会場に入ると「スラヴ叙事詩」の巨大絵画が待ち受けています。6メートル×8メートル規模の絵画に四方を囲まれるわけですから、まずスケールの大きさに圧倒されます。
故郷とスラヴ民族の歴史から着想を得たこれらの作品は、写実性がありながらどこかファンタジックで幻想的な絵になっています。
巨大な画面の中で人物の顔や布の皺、草花や装飾品などがいたるところで丁寧に描き込まれており、ミュシャはかなり几帳面な人だったのだろうな~と感じました。
撮影OKのコーナーがありましたので紹介します。

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部分です。

進んでいくとリトグラフのポスターが並んでいます。
ミュシャを人気の作家に押し上げたこれらの作品は、美しい女性や花や星、キラキラの装飾品などが繊細な線で緻密に描かれており、現代でもとても人気があります。
人物や花は描写の線より太い輪郭線で囲まれています。これによって見せたい部分をより強調し、デザインされた枠の部分と距離感を生む訳ですが、髪の隙間や、重なり合った葉の隙間など輪郭線に囲まれて出来た「間」がとても絶妙で「オシャレだな~」と感心してしまいました。



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そして次は草間彌生展へ向かいます。
まず入ると奥行きのある広い部屋に「我が永遠の魂」シリーズがビッシリと並んでいます。
強い色彩と激しいインパクトで部屋に入った瞬間思わず「ウワッ」と声を上げてしまいました。
使われている色や図像(水玉や網、目など)は共通していながらも、1枚1枚独立した別の作品でもあるし、巨大な1枚の絵画のようにも感じられます。
「描いてる時は私命がけなのよ」とドキュメンタリー番組で仰っていましたが、命がけ×130枚はものすごいパワーを発していました。

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奥の部屋に進むと過去作品が展示してあります。
インフィニティ・ネットや黄樹、かぼちゃなど人気作品が注目を集めていました。
[無限の鏡の間]は通る人が皆周りを見渡しながら一種のアトラクションのような感覚で作品を楽しんでいました。


出口付近にはすごい人だかりが…
2つの展覧会どちらとも物販の行列がかなり長く伸びていました。
特に草間彌生展の方はグッズ展開がかなり豊富で「ポップでかわいい水玉模様」マーケティングの強さを感じました…!
(s.t)



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by matsuo-art | 2017-04-28 18:17 | 美術  

イタリア美術紀行ーローマ編・その2(ヴァチカン美術館)

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9月23日、開館時間の9時に間に合うようにヴァチカン美術館にバスで向かいました。サン・ピエトロ聖堂の前で降りて美術館の入り口に向かうと、すでに入館を待つ人々の長蛇の列が出来ていました。なぜこんなに入館待ちの列が出来るのかというと、入場者が多いのはもちろんなのですが、その入場者を空港のセキュリティチェック並みの検査をしてから入場させているからです。(今回の旅行では、ウフィツィ美術館でも同様のセキュリティチェックがありました。)結局入館できるまでに1時間くらいかかりましたが、予約していなかったのに1時間待ちですんで良かったと思いました。

ヴァチカン美術館は、絵画館以外にも、ギリシア・ローマの遺物のセクションや古代文明のセクション、近・現代絵画のセクションなどもあり、膨大なコレクションを誇っています。そしてそれに加えてラファエロたちの手がけた壁画のある部屋や、システィーナ礼拝堂があります。

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まずは絵画館から。ラファエロやレオナルド、カラヴァッジオなどの有名な作品が目立ってはいますが、一方、カルロ・クリヴェッリやピントリッキオなどの意外な作品がこっそりとあり、「おっ!」と思わされました。

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彫刻のセクションでは、ラオコーンやベルベデーレのトルソなどが観客を集めています。ラオコーンは16世紀の始め頃ローマで出土の知らせを受けて教皇からミケランジェロが派遣されて購入したもの、ベルベデーレのトルソはミケランジェロに強い影響を与えた紀元前1世紀アポロニオスによる作品。
私はジャン・ロレンツオ・ベルニーニの天使像の粘土による試作が何体か並んでいるコーナーが興味深かったです。およそ350年もの時間を超えて、崩れかけた粘土や中の鉄芯が制作の過程を生々しく伝えているように思えました。

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ギリシア・ローマ時代の遺物を集めたセクションでは、修復中の様子を見せてくれるスペースもありました。

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さらにはエジプト文明や他の古代文明の遺物のコレクション、中世の宗教的な美術・工芸品を集めた部屋などを経て、ラファエロが手がけた「アテネの学堂」などのフレスコ画がある部屋にようやくたどり着きました。

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そして近・現代の絵画や彫刻を展示したセクションを過ぎた後、クライマックスのシスティーナ礼拝堂です。
礼拝堂の天井と正面にミケランジェロによる巨大壁画が描かれています。天井には創世記をはじめとする旧約聖書をテーマとするフレスコ画がいっぱいに描かれ、正面には新約聖書の最後の審判をテーマとするフレスコ画が描かれています。
私はシスティーナ礼拝堂の壁画を観るのはこれで3回目です。1回目は天井が修復中だったので最後の審判(修復前)のみ、2回目は天井が綺麗になっていましたが最後の審判が修復中。そして今回初めて全部が綺麗になった状態で見ることができました。
(システィーナ礼拝堂内は撮影禁止のため、写真は撮っていません。)
堂内に溢れる人々の中で、首が痛くなるほどじっくりとミケランジェロの仕事を見つめて目の奥に焼き付けた後、閉館時間の6時に近くなったので礼拝堂を出ました。結局ほぼ8時間美術館内にいたことになります。
礼拝堂からは、まるで吐き出されるようにスルスルとサン・ピエトロ聖堂の入り口脇に出て来れますが、外に出たら、朝のいい天気が嘘のように雨が降っていました。

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サン・ピエトロ聖堂に参詣し、その壮大な空間(ドームの設計はミケランジェロ、ブロンズ製の大天蓋はジャン・ロレンツォ・ベルニーニによるもの)や、中に安置されているミケランジェロの彫刻「ピエタ」を観たあと、外に出てもいっこうに雨脚が弱くなる気配がありません。思い切ってかなり離れたバス停まで雨の中を走り、バスでホテルに戻る事にしました。
本当は夕方からは、ザハ・ハディドのデザインした新しい国立21世紀美術館(MAXXI)にヴァチカンから向かい、帰りはまたローマを夜散歩しながらホテルに戻ろうと思っていたのですが、もうミケランジェロの仕事で締めくくった後は何も観なくていいや、という気分でした。

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明日は朝一番でチェックアウトして空港に向かい、日本に帰るため飛行機に乗ります。これにて今回のイタリア美術紀行は終わりです。(Y.O)
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by matsuo-art | 2015-10-29 16:30 | 美術  

イタリア美術紀行ーローマ編・その1(ローマ夜散歩)

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9月22日夕方、ローマ、テルミニ駅に着きました。アッシジから鈍行列車で2時間半ほどの距離です。
ホテルにテェックイン後、テルミニ駅前のバスターミナルからすぐにローマ現代美術館(MACRO)に向かいました。ここは新しい美術館で、今回訪れるのを楽しみにしていました。行ってみると建物はきれいでかっこよく、カフェやショップなども充実した感じでしたが、どちらかというと常設のコレクションを持たない研究施設のような感じです。この時期観るべき展示もやっておらず、ちょっとだけ中を歩いてみて早々に出てきてしまいました。

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この時間からではもう他の美術館もしまっているし、教会に入るのも無理かもしれません。せっかくだからバスには乗らずに、夕方のローマを特に目的なくぶらぶら歩いてみる事にしました。
ローマは、24年前にイタリア政府留学生だったときに、数ヶ月毎に外務省に顔を出さなければならなかった折や、しばしば知人宅に滞在させてもらったりして、訪れるたびにけっこう歩き回ったのでよく知っているつもりでしたが・・・、なにしろ24年前のことですから位置関係などもあやふやになっており、簡単な地図を片手の散策です。

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MACROから、ローマ時代の城壁ピア門を経て、9月20日通りに沿って中心街の方に向かって歩いて行きます。共和国広場や、ミケランジェロが古代ローマの遺跡跡を利用して設計したサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会を経て、さらにナツィオナーレ通りを歩いて行くと古代ローマ、トラヤヌス帝時代の遺跡フォロトライアーノに出くわしました。トラヤヌス帝の記念柱が立っています。ここからヴェネツィア広場を挟んだ向こうにヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂も見えています。今回ローマに来て初めて「ローマだ!」っていう気持ちになりました。そしてそこから、とりあえずパンテオンを目指して歩いていくことにします。

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パンテオンは古代ローマの汎神殿で、現在は教会になっています。ラファエロなどのお墓もここにあります。
(このような巨大ドームを架ける技術は古代ローマ以来長らく失われていましたが、初期ルネッサンスの建築家ブルネレスキがフィレンツェのドゥオーモの巨大ドームを架ける方法を考案し、復活させました。)
パンテオンは開館していたので中を観れましたが、観光客で渦巻いていました。

パンテオン内を早々に出て、トラステヴェレに行ってみることにしました。もう日が落ちて大分暗くなってきています。トラステヴェレはテヴェレ川を渡った向こう岸の庶民的な町で、「ピッツァを食べるならトラステヴェレが良い」とガイドブックに書いてあったので。

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トラステヴェレは本当に活気があって人通りも多く、どこのレストランやピッツアリアもものすごく賑わっています。そんな地元の人で溢れる忙しそうなピッツァリアの一軒に入り、茄子のピッツアを食べた後、再びテヴェレ川の中の島であるティベリーナ島に架かる古い橋を渡ります。そしてそこから古代の劇場跡のマルケルス劇場を経て、ミケランジェロの設計したカンピドリオ広場を目指して丘を登っていきます。

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カンピドリオ広場は、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」のラストの、世を憂う初老の男性が演説するシーンで出てきた、あの広場です。広場中央にマルクス・アウレリウス騎馬像が立っています。
広場を横切って丘を下っていくと、古代ローマ時代の政治・経済の中心地だったフォロロマーノがあります。そしてさらにその暗い古代の遺跡を右に見ながら東に進むと、古代の闘技場コロッセオが見えて来きます。
そしてコロッセオから、ネロ帝の黄金宮殿(ドムス・アウレア)を横目で見ながら坂道を登り、カブール通りを目指して北へ進みます。

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カブール通りをしばらく行くとサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂が見えて来きました。4世紀に建てられて以来、改築を重ね現在の姿になったという古い歴史を誇る教会であり、ローマのランドマークの一つです。ここまで来るとテルミニ駅近くの投宿先のホテルはもうすぐです。

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これで大体ローマ旧市街の中心部分を、ぐるっとほぼ半周した感じになります。ホテルに帰り着いたのは夜中になってしまいました。
明日は いよいよヴァチカンに行きます。(Y.O)
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by matsuo-art | 2015-10-28 11:37 | 美術  

イタリア美術紀行ーアッシジ編

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9月21日の夜、アレッツオから列車でアッシジに到着。31年ぶりの再訪です。
鉄道駅からバスに乗り、小高い山の上にあるアッシジの街に向かいます。バスの終着駅からホテルまでは少々距離があり、暗くなってしまった石畳の街路を重い荷物を引きずって歩かなくてはなりません。アッシジの街は、曲がりくねった細い路地や坂道ばかりで階段などもあり、たちまち自分がどこを歩いているのかわからなくなってしまいました。暗いので地図もよく見えず、(そもそも地図は平面なので)山の中腹に上下に道が積み重なっているこの街では、自分が歩いている道が地図上のどの道なのか実感がありません。しばらくのあいだ当てずっぽうに歩いていたら、偶然にホテルの前にたどり着くことができました。

翌朝、早く起きて夜明けのアッシジの街を散策しました。
聖フランチェスコ聖堂ではすでに早朝のミサが始まっています。聖堂前の広場では、聖フランチェスコさながらのつぎはぎだらけの糞掃衣(のような)を纏った独りの老人が、祈りを捧げながら膝で歩いて聖堂に向かっていっていました。アッシジは、清貧の聖人と呼ばれた聖フランチェスコが生まれ、キリストからの啓示を受けて修道士となった後の活動の拠点であり、そして亡くなった街です。彼の遺徳を偲ぶ人々が巡礼のためにやってきます。

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朝食後、聖フランチェスコ聖堂に改めて参詣し、上部聖堂のジオットの聖フランチェスコの生涯を描いた一連の壁画を観ました。(近年、これはジオット作ではないという有力な説もあるようなのですが。)有名な、小鳥に説教する場面が入り口すぐのところにあります。28の場面が描かれた中で、私は「聖痕を受ける聖フランチェスコ」の場面が特に美しいと思いました。
(聖フランチェスコ聖堂内は撮影禁止のため、以下の堂内の写真や壁画の図版は、絵はがきなどからのものです。)

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下部聖堂にはシモーネ・マルティーニによる大きな壁画がありますが、その脇にチマブーエによる聖母子像が描かれていました。(チマブーエによる壁画は上部聖堂にもありますが、痛みが激しくほとんど見えなくなってしまっています。)天使に囲まれる聖母子の隣には聖フランチェスコが立っています。一目見るや否や、このチマブーエの絵の放つ強いパワーに圧倒されてしまって、しばらくのあいだ目が離せなくなってしまいました。

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昼すぎまでアッシジを散策した後、鈍行列車に乗っていよいよローマへと向かいます。(Y.O)
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by matsuo-art | 2015-10-27 08:59 | 美術  

美の巨人たち 俵屋宗達「重要文化財『舞楽図屏風』」2015.5.30放送 の感想

日本の国宝については「ちゃんと国宝になるべきものを国宝にしているなあ」と感心することが多いのですが、俵屋宗達の舞楽図屏風が重要文化財どまりで国宝になっていないのは謎です。構図を重視しすぎて舞い手が静止して見えるせいでしょうか?しかし、舞楽図ほど枠組みと図像の配置という絵画の足かせを逆手に取って、徹底的に考え抜いて構成された絵はないでしょう。古田亮氏はそれがマチスの業績と同等であると直感的に感じられており、まさしくそれは正しいのですが、理由を「音楽的」という大まかな言葉でしか語られていない(古田亮「俵屋宗達」平凡社新書)のは残念です。
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マチスは指示対象の平面化から顕在した図像の図と地の関係を追求し、図と地の形態的類似による反転効果(マチスのわかめ模様)や、細い形や狭い形を図像や背景などに作る効果で、形象を単純にしても画面が「動く」場所を(色彩のために)開拓しました。宗達もそうした実験を様々な作品で展開しており、舞楽図はある意味その集大成です。

舞楽図では、しっぽのような布の形態や松と桜の幹の隙間(枝との類似、また、細い形は広い形よりも図として認識されやすい)に図と地の反転が現れています。広い空間を背景に作る一方で、極端に細い隙間を背景に作り、観る者に緊張と緩和のリズムを与えることに腐心しています。
さらに舞楽図が観る者を飽きさせないのは、画面全体の構成だけでなく、2つに分けて1曲ずつ見ても、4つに分けて見ても、真ん中の正方形の画面で見ても、それぞれの緊張感と表情で画面が見えるように構成されているところです。

不思議なのは番組でも語られた通り、そのようなフォーマリズムの視点を持った画家が「突然」現れたことです。西洋でもセザンヌが突然、現れました(そしてマチスに受け継がれた)。突然現れる素地はあったとも言えますが、この謎は解けそうもありません。

実際の舞楽では違う演目が同時に演じられることはありません。宗達が図像の形態を優先し、図像の意味性を軽視して過去の図像からカット&ペーストしたことはよく知られていますが、そのことと、番組が白い翁の意味性を強調したこととは矛盾します。なぜ番組がそこを主張したのか理解できませんが、ただ、番組を見る中で、翁の意味性だけでなく、その他の舞い手の意味性も含めて宗達が図像を選んだ可能性がある、と私は思い直しました。宗達は「図像の形態を優先して意味性を無視した」と今までは思いがちだったのですが、形態と意味性と、実は両方から吟味したのが宗達だったのではないのか?

確かに白い翁は全体の要になるかもしれませんが、選ばれた舞いの演目や松、桜など選ばれた図像の全体から見えてくるテーマ性が他にあり得ないのか、検証してみると面白いと思いました。(n.m.)
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by matsuo-art | 2015-06-01 15:24 | 美術  

村上華岳の花隈・元町

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松尾美術研究室は神戸・元町の北側、花隈城趾の東隣に位置していますが、花隈と言えば、大正〜昭和初期の日本画家・村上華岳邸のあったところです。
村上華岳は私の真に敬愛する画家の一人で、歳を取るごとに彼の画業は私の中で存在が大きくなっています。華岳の家が花隈にあったことはずいぶん前から知っていて、暇がある時には界隈を華岳邸跡を探して回るのですが、この界隈は入り組んだ路地や坂道が多く、どうにも探し切れていませんでした。
しかし先日の散策時に、こんなに探しまわったのが嘘のように、かなり分かりやすい場所であっさり見つけてしまいました。今は花隈自治会館という建物になっていて、その前に立っている石碑だけが華岳の家がかつてここにあったことを示すばかりです。

華岳は明治22年、大阪の生まれですが、この花隈の家で少年時代を過ごし、京都時代、芦屋時代を経て、昭和2年、40歳の時にこの家を引き継ぐ為に戻ってきます。そして昭和14年、52歳で亡くなるまでここで持病の喘息と闘いながら作品を描き続けました。

制作の合間には元町の洋書店や輸入物産店を巡ったり、大丸で買い物をしたり、旧居留地あたりにあった「ブラジレイロ」というカフェでコーヒーを飲んだりしていたようです。(この「ブラジレイロ」というカフェは大阪、東京、京都、神戸、福岡に店舗を持った老舗のコーヒー店で、現在は福岡にのみこの名前を引き継ぐ店が残っているようです。)
華岳の自らの絵に対する思いを綴った文章を彼の死後にまとめた「画論」(中央公論社)を読んでいると、時には長女を伴い諏訪山、再度山、布引の奥へと散歩したことが書かれています。

「たとへば諏訪山にしても、山は浅いが、入ってみればあれでなかなか幽谷らしい気分のところもあり、市井の気分転換にはもって来いである。
(中略)再度山など、今ではバスが通っているほどに開けてしまったが、それでもあの古い山門前の椎の木の下に座っていると、夏でも冷々たる嵐気を感じる間適なところである。このあたりは山は浅いが、立派な森林帯がずっと続いていて、幽遼な趣致にとんでいるので、私など時折出かけて、あの山門前で一休みをする、あの気分がどうしても忘れられない。
(中略)私は健康に恵まれないでこうして常に引籠もり勝ちなのは、私としては実際不幸な事だけれど、お蔭で静思瞑想の境地には自由に遊ばれるのでその点幸福だともいえる。負け惜しみをいうようだが、私はこうしていても非常な異国芸術への憧憬家で、印度とかエジプトとか、中央アジアなどの貌遠荒茫な天地に深い幻想をよせている。もし私が人並みに健康でありえたら、こうして花隈の一角に年中かがまりこんでいる人間ではなかったろうと思っている。」


華岳はジオット、フラアンジェリコなどの初期ルネッサンス美術、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ウィリアム・ブレイクなどの精神性への共感、あるいは中国やインドの文化芸術への憧憬を「画論」の中で頻繁に記しています。京都時代に国画創作協会の仲間(小野竹喬、土田麦僊、野長瀬晩花ら)たちが渡欧する中、持病の為に彼らとの渡欧が果たせなかった華岳は、後に協会を脱退し、中央の画壇との関わりも断って、少年時代を過ごしたここ花隈の地で、「道心のうちに衣食あり」と彼が言うように自らの芸術をストイックに追い求め、「密室の祈り」(華岳)たるべき純度の高い絵を描き続けました。

しかしその一方では、港町神戸に集まる異国の文物や様々な国の人々の発する華やぎや六甲の山々からの涼風が、彼の憧憬を慰めていたに違いありません。

ところで、2005年に京都国立近代美術館で華岳の大規模な回顧展がありました。その折には私も2度会場に足を運び、華岳の絵の世界を堪能しました。それからもうすぐ10年になります。兵庫県立美術館も華岳の作品を多数収蔵しているとのことですし、神戸・芦屋と華岳の関わりに光を当てた大きな展覧会が、近い将来神戸で観られることを切望してやみません。(Y.O.)

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by matsuo-art | 2014-09-07 12:27 | 美術  

島袋道浩 shimabukuによるアニエスb.フリーペーパー 

神戸出身の美術家、島袋道浩氏(shimabuku)が、現在発刊しているアニエスb.のアートフリーペーパーを手掛けています。それを知って、神戸大丸のお店まで取りに行ってきました。
青い写真「飛ぶ私」が裏表紙で、亀の写真「カメ先生」が表紙です(逆かな?)。
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島袋氏は、私が専門学校で指導していたときに版画科に在籍していましたが、その後サンフランシスコ美術大学やヨーロッパ旅行による自主研鑽を経て今は世界各地で活動しています。パフォ−マンス、インスタレーション、ビデオ映像など枠にはまらない表現で、日常世界をユーモラスに切り取り美しく肯定的に提示しています。

アニエスb.の記事はこちら
shimabuku HPはこちら

ポワンティロニーという名のこのフリーペーパーは1997年に誕生したそうで、年に数回発刊、各号でゲストアーティストが紙面を構成するとのこと。島袋氏が55号目ですが、これまでにもボルタンスキー、ギルバート&ジョージ、マシュー・バーニー、ダミアン・ハースト、ローズマリー・トロッケルなどなど、個性豊かな作家が登場しています。31号はオノヨーコが手掛けていますが、この日本人作家の先輩と島袋氏のテイストはどこか似ています。(n.m.)
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by matsuo-art | 2014-07-04 22:41 | 美術  

訃報 造形作家 國府理(こくふ おさむ)さん

造形作家、國府理(こくふ おさむ)さんの訃報です。
青森公立大国際芸術センター青森の個展会場での事故。アクリル製の箱を使った作品内で展示作品をメンテナンス中に倒れているのが見つかり、一酸化炭素中毒だと思われるとのこと。

これからどんどん活躍されるところであったのに、突然の訃報に戸惑っています。昨年7月の西宮市大谷記念美術館「國府理 未来のいえ」展でお元気に作品を修理されていた姿を思い出します。
ご冥福をお祈りします。(n.m.)
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by matsuo-art | 2014-04-30 12:15 | 美術  

「日本画伝統表現 絹本画に親しむ」京都市立芸術大学サマーアートスクール

8月6日~8日の3日間、母校の京都市立芸術大学サマーアートスクール「日本画伝統表現 絹本画に親しむ」に参加してきました。
若冲や芦雪など、私が好きな絵師は絹本画(けんぽんが)も多く描いているので、以前から絹に描く技法には興味を持っていました。この講座では絹本画の基本と素材について学び、若冲の「動植綵絵」の模写を通して「ぼかし」と「裏彩色」の技法を体験することができました。
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裏彩色とは、絹という薄くて透けて見える基底材独特の技法で、表から何層も重ね塗りが出来ない代わりに、裏から彩色する方法です。それによって描写や色味を複雑にするだけでなく、保存の効果もあると言います。
実習では最初に軽く練習をした後、用意してもらった4つの図版から1つを選び、木枠に張ったドーサ引きの絹に模写しました。私は比較的簡単で図像的にも興味がある「ふぐ」を選びましたが、一番難しい「鶏」は3日間で完成させるのは困難と言われたにもかかわらず、結構多くの受講生が選んでいました。

これは指導していただいた宇野先生によるお手本です。
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こちらがその裏彩色の様子。
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この講座は教員免許状更新講習にも指定されて、教員をされている方も多く受講していたようです。当研究室のYM先生も教員免許状更新のために受講していましたし、日本画の同期生のSさん、先輩のTさんも受講されていました。
私は油画出身なので、学生の時に独学で日本画の絵の具を使った事はあるものの、ちゃんと教わった事はありません。顔料を膠で溶く加減など基本的な事を知らないので戸惑ったのですが、この講座の参加者は皆さん承知のようで、各自どんどん進めていきます。
ただ、胡粉の溶き方については、修復の現場の方法は一般的な日本画の方法よりさらに繊細であるようです(この講座は日本画の主催ではなく保存修復の主催です)。宇野先生によるデモンストレーションでは、皆さん集まって熱心に習得していました。

「ふぐ」の模写では最初に和紙でマスキングをします。若冲も実際にマスキングをしていた、という事実を知ることができたのは収穫でした(若冲は和紙を使わずにのりだけでもやっていたらしい)。のりで紙をはりつけ、乾いてから背景を塗り、さらに乾かしてはがします。
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胡粉を溶くのは手間がかかるので、2日目の終了までになんとか胡粉と墨の作業を終了させました。ふぐの場合は、残り2色だけです。
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顔料や膠はすべて用意されています。さらに主要な色は膠で溶いて用意してくれているので助かります。
最初の練習では水干絵具を使いましたが、模写では自然顔料のみです。
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完成の状態。
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きれいに「蝶と花」を仕上げていた受講生の方の写真を撮らせていただきました。
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初日には定金先生によるスライド講義もあり、奈良、平安時代の仏画の裏彩色の実例も紹介していただきました。その他にも、京都芸大所蔵の「動植綵絵 模写」2幅を見せていただいたり、裏打ちのデモンストレーションや胡粉製作現場の紹介などもあり、全体として専門的かつ実践的な講座内容で、この暑さの中、京都に通うのは大変でしたが、とても充実した3日間を過ごすことが出来ました。
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裏打ち作業のデモンストレーション。
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胡粉のお話。
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実際に作業をしてみて、いかに若冲が細かい作業を集中力を持って行っていたかが分かりましたが、若冲ブルーベリー説(?)の話も出ていたように、ある程度年を取ってから絵を描き始めた若冲は老眼にもなっていたはずです。図像の細かさと精度を考えると、棟方志功のように顔を近づけて描いていたのかもしれません。
次に「動植綵絵」の実物を見るときには、以前と違う見方ができるように思いました。(n.m.)
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by matsuo-art | 2013-08-15 22:25 | 美術  

平清盛と美術

NHK大河ドラマ「平清盛」は視聴率が低くて苦戦しているそうですが、私は毎回観ています。放映当初、兵庫県の井戸知事に「画面が汚い」とクレームを付けられた龍馬伝譲りの画面も、なかなかのリアリティで良いですし、私はこの時代のことを詳しく知らなかったので、院政(天皇、上皇、法皇)、摂関家、平氏、源氏、など、権力闘争の中でそれぞれに複雑に絡み合った人間関係に驚き、歴史を勉強し直しながら楽しんで観ています。

そもそも孫の鳥羽天皇の妃、待賢門院璋子と密通していた、そして清盛の実の父(史実としては定かでないが)でもあった白川法皇という物の怪のような存在から始まるこの物語、高視聴率をとるような一般受けする話でないかもしれない。脚本はあのNHK朝ドラの名作「ちりとてちん」の作者ですが、DVD売り上げ最高記録を樹立したちりとてちんも、放映中は低視聴率だった。NHKには視聴率を気にせずに、作りたかったものを作り切ってほしい。

このドラマ以前に私が”清盛”で知っていたことと言えば、「厳島神社」とそこに奉納した「平家納経」くらいでしたが、恥ずかしながら私は清盛を”貴族”だと思っていました。平安時代は貴族社会であったわけですし、平家納経は絢爛豪華な王朝美の代表かつ到達点です。私が敬愛する俵屋宗達も、1602年に平家納経の修復にたずさわって、町人でありながら、そのきらびやかな貴族文化に接っしたのですから、てっきり貴族だと思っていました。
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今回のドラマを観ていて、この時代は戦国時代や幕末に匹敵するくらいに面白い、と思いましたが、保元の乱で身内と敵対してまでもいっしょに戦った平清盛と源義朝(頼朝と義経の父)が、わずか3年後の平治の乱で敵対することになるのですから、すごいものです。
今日の放送で、ドラマはいよいよその「平治の乱」に突入するわけですが、東京国立博物館で先頃まで開催されていて、現在、名古屋で開かれているボストン美術館展に出品されている「平治物語絵巻」には、平治の乱の三条殿焼討ちの様子がダイナミックかつ繊細に描かれています。火が放たれて燃え上がる炎と煙の表現は様式的であるにもかかわらずリアルで、敵の首を刀剣で掻く姿も生々しく描かれています。
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このボストン美術館展、来年の春には大阪にも巡回してくるのでよいのですが、東京展開催時のようにテレビや雑誌メディアが盛り上がっている時や、ドラマの前に実物を観れなかったのは少々残念です。

ところで、先の保元の乱で清盛は後白河帝に付き、破れた崇徳院は讃岐に島流しにされるのですが、美術家の杉本博司 著「苔のむすまで」の ”京の今様” という一文には、後白河法皇と崇徳院についてくわしく書かれていて面白いのです。

崇徳院は、讃岐で書いた膨大な写経を奉納してほしいと京に送るものの、呪詛が込められていると後白河法皇に拒まれ、送り返される。怒った崇徳院は、舌を噛み切った自分の血で本当の呪いの言葉を書き連ね、生きながらにして怨霊と化したという。「保元物語」に詳しいそうだが、崇徳院の怨霊は歌川国芳の浮世絵にもなっていて、西行(北面の武士として清盛の同僚だった)とともに「雨月物語」にも出てくるという。

杉本博司は、ベネッセアートサイト直島に家プロジェクトで神社を建立する際、1本のひれくれた形の松を切るかどうか悩んだあげく、後白河院が編纂した「梁塵秘抄」にあるひとつの今様(当時のはやり歌)を見つけて、松を切らずに残す事にする。実は崇徳院は直島にも配流されていて、その今様は「直す」ことのできない「ねじれた松」を崇徳院のこころもちに重ねて歌われた歌だった。

今様を愛して歌い集めた後白河院。「遊びをせんとや生まれけむ」というドラマのテーマもここから来ているし、清盛は極楽浄土を求めた後白河院のために三十三間堂を立て、平家納経を納める。

私は杉本氏のこの一文を読んでから、今まであまり好きでなかった自分の名前に愛着が持てるようになりました。私の名前には「松」と「直」の両方の字がありますが、「直」の字が持つ堅い感じが好きではなかったし、この2つの漢字を含む姓と名は、その意味において矛盾しています。しかし、歴史のある時期とある場所に奇妙な関連を見いだしてから、その矛盾にも何か意味があるのかな、と思うようになったのです。(n.m.)
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by matsuo-art | 2012-07-01 05:49 | 美術