カテゴリ:舞台( 3 )

 

笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」(京都造形芸術大学・春秋座)

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7月3日、京都造形芸術大学・春秋座で開催された笠井叡×山田せつ子新作ダンス公演「燃え上がる耳」を観に行きました。

しばらく前偶然に、出版されたばかりの笠井叡さんの著書「カラダという書物」(書肆山田)を手にし、その本の持つたたずまいに直感的に惹かれて買い求め読みました。そのとき、内容的には容易にうなづくことができないところもあるものの、「でもこの本はまぎれもなくこの人の身体のなかから出て来たものだけで出来ている、嘘偽りのないものだ」と思いました。それ以来笠井さんのダンスを観る機会をうかがっていましたが、今回ようやくその機会を得ることができました。

冒頭からブラームス交響曲1番の壮大で重厚な響きに乗って、笠井さんと山田せつ子さんとのデュオで激しく踊り続ける鮮烈な始まり方でした。私の稽古している合気道の「呼吸法」に似た空間を抱え込みながら旋回する横の動き(「瀕死の”呼吸法”」!)と、突然崩れ落ちては素早く立ち上がる縦の動きを織り交ぜながら、舞台空間を大きく使って1楽章15分ほどを丸ごと踊り続ける圧巻のダンスでした。二人の身体からダンスがこんこんと涌き出してきます。
笠井さんと山田さんのユニゾンの動きはお互いの身体性の違いのままにズレていくのですが、それが逆に二つの身体の関係性を際立たせ、舞台上での響き合いを感じさせます。(終演後のアフタートークで、笠井さんは、ズレていくことは当然意図されていたことと話していました。)

その後も両者ともやはり長いソロを踊るシーンがあり、共演の4人の若手女性ダンサーの好演もあって、全体的に大変濃厚な1時間20分でした。人間の身体の動きだけでこれほどの時間を緊張感を維持してみせる振り付けや構成の緻密さと力技に感銘を受けつつ帰路につきました。
(本公演の制作途中でのインタビューはREALKYOTO内のページで読むことができます。)(Y.O.)
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by matsuo-art | 2016-07-10 20:46 | 舞台  

「杉本文楽 曽根崎心中 付り観音廻り」フェスティバルホール

大阪フェスティバルホールの「杉本文楽 曽根崎心中 付り観音廻り」公演を見に行きました。
現代美術作家である杉本博司氏演出によるこの"杉本版曽根崎心中"については、以前、東京公演(2011年)のドキュメンタリー番組が放映された時にこのブログでも紹介しました。
初演時の原本を忠実に再現し、当時の一人遣い人形を復活させるなど伝統に則しつつも、独自の解釈で演出した全く新しい文楽。ホールの非常灯もすべて消した暗い会場に浮かび上がる人形を、黒子の衣装を着た人形遣いが操るという演出。ミニマムに洗練された舞台空間が際立っていました。
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初版本から再現された第一段の「観音廻り」では、ヨーロッパ公演から起用されたと思われる現代美術家の束芋によるアニメーションを背景に、一人遣い人形のお初が登場。このアニメーションをはじめとした大型スクリーンによる演出は、特に文楽に慣れ親しんでいる人にとっては人形の動きを邪魔するものとして不要という意見もあるようです。文楽自体これが初めてという私には比較検討できませんが、今回、2階席という人形の表情をつぶさに見ることができない遠い距離から鑑賞した者にとっては、広い空間でのこの演出はありだ、と思いました。

次の「生玉社の段」で三人遣いの人形が出てくると人形の動きが断然生き生きしはじめたのが双眼鏡越しでも分かりましたが、逆に言うと、そうではない一人遣い人形とスクリーンの絡みはあってよい。ただ、近くで人形を見ることができる鑑賞者には過度の演出にも見えるでしょう。そののちの三十三間堂写真や松の写真のように杉本氏の作品が抑制されつつ効果的に使われているところを見ると、すべて杉本作品で統一できれば良かったとも思います。それと、東京公演で登場していた「十一面観音像(かつて白州正子氏が所有していて現在杉本氏所蔵の)」が出てこなかったのは個人的には残念。

新しくなったばかりのホールの音響が、鈴の音も含め非常にきれいだったのは印象的でした。大夫の声と三味線の音がとてもここちよく、職人技による型の、完成された豊かさというものを感じました。そのここちよさに、暗闇の中でついうとうとしてしまう瞬間も‥‥。大夫の意味内容が分かればそんなこともなかったのでしょうが、思っていた以上に意味内容は聞き取れませんでした(台本も買いましたが、あらすじは載っているものの現代語訳は出ていない)。
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でも、正月に落語を聞きにいった時も思ったのですが、テレビやラジオで聴くとそうは思わなくても、三味線は実際に演奏されているところを間近で聴くと魅力的で、今回は大夫の節回しもとても魅力的な音であることが分かりました。
最後の「道行の段」の舞台が現れると、ミニマリズムというべきシンプルな舞台演出に感心しましたが、他にも火打石の火花や火の玉の炎が暗闇の中で効果的に演出されていたのも印象的でした。

ところで今回はTsumura grafikの津村氏といっしょに見に行ったのですが、彼によるとつい最近、心斎橋のアセンスで写真家ヴォルフガング・ティルマンスのサイン会があったそうで、ちょっと特別なティルマンスのサインを見せてもらいました。TASCHENから画集が出版された記念企画だったようですが、展覧会をしていたわけではない場所でそんな企画があったとは!
津村氏は現代美術作品(および古美術)の収集家でもあり、たとえば伊丹市立美術館で開催された中原浩大展にも彼のコレクションが出品されていたりしているのですが、ティルマンスの写真も家に飾ってあるそうです。(n.m.)
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by matsuo-art | 2014-03-29 22:48 | 舞台  

杉本文楽「曾根崎心中・付(つけた)り観音廻り」

8月に神奈川芸術劇場(KAAT)にて現代美術家 杉本博司の演出による人形浄瑠璃「曾根崎心中・付(つけた)り観音廻り」が上演された。そのドキュメンタリーが16日(日)にNHKで放送されたのを見て「これはすごい!」と思った。この夏にそんな歴史的な舞台が行われたことなど全く知らなかった(知っていたからと言って見に行くことができたわけではないけれど)。

300年前に近松門左衛門によって書かれた「曾根崎心中」は、演出の都合上、現在は原文の一部が割愛されて上演されている。杉本博司版では、近松の原文をいっさいカットせずオリジナルに忠実な内容で、しかも、従来の文楽の枠を越えた、全く新しい演出を試みた。

「恋を心中によって成就させることによって、二人の魂が浄土へと導かれるという革命的な解釈が、はじめて近松門左衛門によって披露されたのが、この人形浄瑠璃『曾根崎心中』である。」
「第一段の「観音廻り」には、死に行くお初が、実は観音信仰に深く帰依していたことが伏線として語られる。初演当時、封建道徳に深く縛られていた恋する若い男女に、心中は爆発的に流行した。この世で遂げられぬ恋は、あの世で成就される、と思わせる力がこの浄瑠璃にはあった。江戸幕府は享保8年(1723)、『曾根崎心中』を上演禁止とし、心中による死者の葬儀も禁止した。」
「それから232年後の昭和30年になって、この浄瑠璃はようやく復活される。しかしその数百年の断絶のうちに、我々は近松時代の語りや人形の遣い方がどのようであったか、という記憶をほとんど失ってしまった。」
「私は今のこの世にあって、私の想像力を飛翔させ、古典の復活こそが最も現代的であるような演劇空間を試みてみたいと思った。」
 杉本博司【前口上】より


昭和に復活された「曾根崎心中」では第一段の「観音廻り」がそっくりカットされているので、仏教的な意味合いが抜けている。江戸幕府が禁止令を出したほどに当時心中が流行した、というのは我々の普通の感覚では信じ難い。ただ、私はつい最近、村上春樹氏によるオウム信者へのインタビュー集「約束された場所で」を読んだところなので、現世を相対化する思想が時に予想もしない破滅力を持ち得る恐ろしさがあることもわかる。

明るい光を排して暗闇に人形が浮かぶ演出を施し、本来左右の動きだけの文楽に縦の奥行きの動きを導入し、背景に巨大スクリーンを使い、一人遣いの人形を新たに作り、新たに唄をつくり、それを人間国宝をはじめとする伝統芸能の至宝たちが演じる。新しい試みのオンパレードである。スクリーンには杉本氏の写真作品「松林図」も映り、「観音廻り」の最後には、なんと杉本氏所蔵の仏像の名作「十一面観音立像」の実物が舞台に登場するという贅沢さ!

次は是非とも関西で、と思うところだが、番組の最後を見ると、次回は国内を飛び越えてフランスでの上演となりそうだ(確かにフランスのほうが国内よりも最先端の日本文化を評価してくれるふしがある)。(n.m.)
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by matsuo-art | 2011-10-18 22:55 | 舞台