カテゴリ:本( 7 )

 

卒業生のお仕事2 はらだ有彩さん「日本のヤバい女の子」

当研究室出身で、京都市立芸術大学 美術学科・油画専攻・壁画ゼミ卒業の はらだ有彩さんは、テキスタイルデザイナー、エッセイスト、イラストレーターとして活動しています。今年6月に「日本のヤバい女の子」というエッセイ本を出版しました。
この本は、はらださんがウェブマガジン「アパートメント」に掲載したエッセイを加筆してまとめたもので、イラストも本人が描いています。あとがきなどの一部に漫画形式のページもあります。
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古今東西の昔話や童話には不条理な内容が多いものです。例えば赤ずきんの話では、何の落ち度もない可愛い少女がオオカミに食べられてしまう。小説家の坂口安吾はそうした唐突に突き放されるような不条理を文学のふるさとと名付け、不条理ゆえのリアリティとして文学の基底に位置付けました。

はらだ有彩さんは、これと全く違う視点で昔話や童話の不条理を取り上げています。彼女が取り上げるのは、日本の昔話などに出てくる女の子たち。不条理でヤバい存在として語られる彼女たちも、もともとは生身の女の子だったはず、という考えから、彼女たちの行動をいわば現代の環境に連れ出し、ヤバい行動の理由をはらださんの想像力で丁寧に解きほぐします。彼女たちに寄り添い、彼女たちの生きづらさに共感し、励まします。

「ヤバい」というタイトルからエキセントリックな女の子たちをあぶり出しているのかと思いきやその逆で、エキセントリックな女の子たちに、大丈夫だよ、と応援を送っているエッセイです。特に女性から共感をもって読まれているようですが、男性の私が読んでも面白い本でした。

それにしても当研究室に通っている時はこんなにもの事にこだわって文章を書く人とは思いませんでした。取り上げられるお話は、誰もが知ってるお話もあれば初めて知るお話もあって、そんな不条理な、という不思議な話をはらださんの現代語訳あらすじで読めるのもお得です。(n.m.)
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by matsuo-art | 2018-10-06 14:53 |  

「武満徹・音楽創造への旅」立花隆著/文藝春秋刊

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今年は作曲家・武満徹(1930〜1996)の没後20周年ということで、各地で演奏会が開かれたり、彼の音楽を概観するCDが発売されたが、おそらく彼を記念する事業の中で今年最大級のものは立花隆氏による「武満徹・音楽創造への旅」(文藝春秋刊)の出版だったのではないだろうか。

この本は全780ページ、各ページ2段組みでマージンほとんどなしという文字ぎっしりの大著で、半月ぐらいの間どこに行くにも持ち歩いて読み進めたが、あまりにも面白い本で読み終わるのが惜しいくらいだった。
ジャーナリスト・評論家の立花隆氏による武満自身へのロングインタビューをもとに、それに武満の著作や他のインタビューからの引用、関連人物への取材、その他さまざまな資料を縦横に駆使して武満の生きた時代と文化の状況、その音楽創造の本質を浮かび上がらせている。
「タケミツ」という幹から様々に伸びる、人や物事のひとつひとつを枝葉に至るまで立花氏らしく執拗かつ丹念に追いかけて行くとこんな分厚い本になってしまった、という感じだが、とりわけ素晴らしいと思ったのは、武満とその関連人物 (同時代の音楽家仲間、芸術家、評論家、プロデューサーやエンジニア、家族や友人たち)の交流や活動の軌跡が生き生きと描かれ、そのことがそのまま戦後の(美術を含む)前衛芸術の状況の貴重な記録にもなっているところだ。

私自身はこれまで、手持ちの何枚かや図書館で借りてきた武満のCDを時折聴くことはあったが、どちらかというと「一応聴いておかなきゃ的」な聴き方であって、それほど集中的に聴き込むということはなかったし、武満の何冊かの著書(「音、沈黙と測りあえるほどに」や「時間の園丁」、大江健三郎との共著の「オペラをつくる」や小澤征爾との共著の「音楽」など)もざっと目を通してそのまま放置していたような状態だった。
武満徹といえば、アカデミックな音楽教育を受けることなしに独学で音楽を始め、前衛的な音楽の創作に取り組んできた20世紀を代表する作曲家であること、若い時にピアノがなかったので紙の鍵盤を持ち歩いて練習したり、見ず知らずの家に上がりこんでピアノを弾かせてもらったりしたこと、最初期のオーケストラ曲「弦楽のためのレクイエム」がストラビンスキーに激賞されたことで一躍有名になったこと、尺八と琵琶の独奏をオーケストラに取り入れた曲「ノーヴェンバー・ステップス」が、ニューヨーク・フィルによって委嘱され小澤征爾の指揮で演奏されたことで世界的な評価を得たこと、前衛音楽の分野ばかりではなく特に映画音楽の分野で多くの仕事をしたこと…などの良く知られたエピソードがある。そうしたエピソードが私の中でも一人歩きしていて、彼の音楽を聴き込み、そもそも彼の音楽とは何か、その可能性はどのようなところにあるのかを考えるまでには至っていなかった。音楽にしても、その文章から感じられる音楽をめぐる思考にしても、優れた芸術家の作品として無視できないものでありながらも、その音楽の一見取っ付きにくそうな外観に加えて、今までの私の表現上の問題や私を取り巻く時代性とは何か縁遠いものであるようにも感じられていたのだった。

しかし、この「武満徹・音楽創造への旅」という本を読み、同時にそこに出てくる武満の音楽を一つ一つ追うように聴いていくことで、それぞれの曲が生まれる背景やその内容、方法論を知ることができ、今まで漠然と聴いてきた彼の音楽が私のなかで身体を伴ったものとして立ち現れてきた。
武満徹という一人の芸術家の、ある状況のなかで必死に、何か自分のなかにある止むに止まれぬものを書き表そうとする姿勢は、芸術のジャンルや時代性の違いにもかかわらずに共感できるものだし、実際に彼の生み出した音楽は改めて聴いてみるとひどく美しいものだった。(彼の友人のジャスパー・ジョーンズやジョン・ケージからは「美しさにこだわりすぎる」と批判されてもいたらしい。) そのほかにも、日本という場所で西洋音楽をやるということのジレンマとそのことにどのように意味を見出すのかという問題を抱えざるをえないということや、一つ一つの作品を構想する上でどのような課題を自分に課し、方法論を発見し、表現として結実させて行くのかを誠実に考え詰めていくことなど、読んでいて共感できることも多かった。

最も強く印象に残ったことは、前述の通り、彼が終戦後の日本の文化的な状況(海外の同時代の芸術の情報がきわめて得にくい状況)の中で、驚くほど沢山の人に直に出会い、親交を結び、協働しながら、影響を受け取ったり与えたりして新しい音楽を生み出すべく自らの作曲に生かし、活動の場を広げたりしてきたことだ。(その中には本書に出てくるだけでも、先に挙げたジョーンズ、ケージ、小澤の他に、瀧口修造、芥川也寸志、黛敏郎、秋山邦彦、黒澤明、観世寿夫、浅利慶太、オリヴィエ・メシアン、鶴田錦司、横山勝也、ルチアーノ・ベリオ、高橋悠治、一柳慧、岩城宏之、ヤニス・クセナキス、勅使河原宏、ツトム・ヤマシタ、杉浦康平、宇佐美圭司、ジョージ・ラッセル、ピーター・ゼルキンなどなど…ジャンルを超えた名前を見いだすことができる。) 孤独に生み出され、音と沈黙の間に屹立するかような彼の音楽も、様々なレヴェルでのネットワークの結び目の中から誕生していたのかもしれない。

この本は、著者・立花隆氏の執拗な取材と構築によって、武満の音楽の核心を明らかにするとともに、音楽をただ聴くだけでは見えてきにくい側面をも門外漢にも理解しやすい形で明らかにしていて、私にとってすごく大事な読書体験となった。(Y.O.)
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by matsuo-art | 2016-12-05 13:39 |  

山下裕二「日本美術の二十世紀」

NHK日曜美術館「長谷川等伯特集」の再放送が今日あると、先週日曜日のこのブログに書きましたが、他の番組が優先されてありませんでした。民放とちがってたいてい再放送してくれるのがNHKのよいところですが、たまにこういうこともあります。また再放送してくれるでしょうか。
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山下裕二著「日本美術の二十世紀」(晶文社)を読みました。
山下裕二氏は日本美術史の専門家ですが現代美術家との交流もあり、若冲、廬雪、雪村、白隠などの作品について一般にもわかりやすい言葉で書いて、近年広く紹介した功績があります。この本では、「一九五六年の雪舟」「一九七〇年の伊藤若冲」「一九九五年の源頼朝像」などの見出しにあるように、ある作品、作家を取りあげて、その評価がどのような変遷をたどって来たか、1つの時期をポイントにして書いています。美術作品の専門家によるその時々の評価や美術史家の仕事の裏側を書いたエッセイであり、こうした文章も、もうひとつの美術史として貴重だと思いました。

「一九五〇年の長谷川等伯」という一文では、戦前「松林図」は、現在のように第一級の評価が下されていなかったということが書かれています。それでは戦後どのような経緯で今の評価に安定したのか、というところまでは研究書ではないゆえ、それほど詳細に書かれていないのは残念です。

でも「一九三九年の雪村」では、ある時期に雪村の小品がやたらと持ち上げられたことがあり、ベルリンの日本美術展にこの作品が出品された時、ヒットラーが賞賛したことがその理由であると書かれていて、そんなこともあったのかと興味深く読みました。山下氏自身、当時のその流れの中で美術全集を編纂してしまったという反省があってのことでしょう、特に本文で取り扱っているわけではない雪村の秀作「呂洞賓図(りょどうひんず )」がこの本の表紙になっているのも面白いところです。(n.m.)
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by matsuo-art | 2010-03-14 22:21 |  

杉本博司「苔のむすまで time exposed」 

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現代美術家 杉本博司氏の「苔のむすまで time exposed」を図書館で借りて読みました。
これは2003〜04年に雑誌「和楽」に連載されていた文章を中心にまとめられた、杉本氏の1冊目の評論集です。2008年の「新潮」に12回にわたって連載したものをまとめた2冊目の評論集「現な像(うつつなぞう)」はすでに買って持っていますが、こちらはまだ全部読んでいません。というのも、内容があまりにも面白く、深いので、いっぺんに読んでしまうのはもったいない、と思うからです。

「現な像」は、昨年9月、やなぎみわ展(国立国際美術館)を観たおりに、展覧会の図録を買おうと寄ったミュージアムショップで見つけました。やなぎみわ展図録とほぼ同じ値段の「現な像」と、「苔のむすまで」と、どれを買うべきか、懐が寂しいので3つで迷った末に買ったのです。
「現な像」に決めた理由は、たいへん感銘を受けた昨年春の杉本博司展(国立国際美術館)の作品の中でもさらにピカイチだった”十一面観音立像”について最初のページで語られていること、そして最後のページに載っている”土星の月エンセラダス”の写真がとても美しかったことからです。

杉本博司展に展示された”十一面観音立像”は平安時代の木彫の仏像ですが、素朴かつ流麗なその姿に言葉もありませんでした。杉本氏によってブランクーシさながらのシンプルな形態の台座に乗せられたその像からは、近代造形的な視点、つまりフォーマリスティックな彫刻としての視点から観ても、ブランクーシに匹敵する美しさを備えていることが一目瞭然に伝わってきます。さらにそれが遠い昔から信仰の対象になっていたことを考えれば、ブランクーシ以上の価値であると言ってよいかもしれません。

古美術商を営んでいたことのある杉本氏は、個人的な経験やその芸術活動を、長くて広い人間の歴史へと関連させていく視点を持っています(”十一面観音立像”も古美術商時代に培った目で集めた珠玉の杉本コレクションの1つです)。その内容の奥深さは、読み手の思考をも思索の旅へと誘ってくれるのですが、一度に読んでしまうと、頭がいろんなところへ旅立とうとして困ります。

もともと一ヶ月おきに連載していた文章ですから、それくらいのスパンで読むのがよいのでしょう、「苔のむすまで」もそんな理由から、途中で読むのをやめようかと思ったのですが、図書館で借りたこともあって、ついつい最後まで読んでしまいました。
詰め込みすぎて、発酵するのに時間がかかりそうです。
(n.m.)
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by matsuo-art | 2010-02-01 01:20 |  

蓮実重彦「ゴダール マネ フーコー 思考と感性をめぐる断片的な考察」

図書館にたまに行くと読みたい本がいっぱい出て来てついたくさん借りてしまい、すべてをしっかりと読み切れずに返してしまうことがままあります。今回はいくつか借りた中で、蓮実重彦「ゴダール マネ フーコー 思考と感性をめぐる断片的な考察」を読み切る事ができました。
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1995年8月、著者がゴダールの強制ともとれる招待によって、彼のスイスの自宅まで新作映画「映画史」を見に行くくだりから始まり、2006年7月のポンピドゥーセンターにおけるゴダールのインスタレーション「ユートピアへの旅」を観るくだりで終るこの本は、それらをきっかけにして1年後の2007年7月に、著者が国際会議の基調講演で「いわゆるトーキーと呼ばれているものはサイレントの一形式にすぎない」という仮説を提示するまでの、その断片的思考が綴られています。

1人の(あるいは複数の)人間の思考の内部に入り込み、その過程でいくつかの映画や絵画や絵画論がゆるやかにつながって行く様子につきあって行くその読後感は、何とも言いがたいものでした。

この本は「映画史」という難解なゴダール作品の部分的な解説書ともなっています。が、どちらかというと、ゴダールの映画を本当の意味で理解するにはたくさんの教養が必要だ、という事実に突き当たるので、諦めに似た気持ちにもなります。だからそれらを知らないものとしてはむしろ、明確な答えのでない探偵小説だと思って読み進むことにしました。

そう、小説を読んだような読後感。漱石の「草枕」にも似ています。

映画、絵画というメディアは、かくも思想家、文化人たちにいろいろと語らせるものなのだ、と、改めて思ったりもします。(n.m.)
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by matsuo-art | 2010-01-24 22:29 |  

セザンヌは生きている 芸術新潮1996年1月号

少し前に手に入れた古本、芸術新潮1996年1月号「セザンヌは生きている」です。この年、フランスとアメリカでセザンヌの大回顧展があり、それに合わせた特集号です。ほしいと思った古本があればネットですぐに手に入れる事のできる世の中になりました。
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1年ほど前からセザンヌが気になり始めました。きっかけは生徒にセザンヌを紹介している時にふと、「実はセザンヌのしっかりした画集を持っていないなあ」と気付いたからです。マチスやモネ、ゴッホのまとまった画集は持っているけれど、セザンヌに関しては古い集英社のものとか、図版の少ない一般美術書しか持っていない。高校生の時にセザンヌに感化されてからセザンヌについてはもう知っていると思い込んでいたけれど、実はまだ知らないことがいっぱいあるのかも?と思い至った。早い時期にのめり込んだ分、盲点だったなあと思いました。それ以来、ちょこちょことセザンヌ関連本を手に入れています。
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この特集ではエクス・アン・プロヴァンスに取材して、セザンヌが描き、名作を生み出した彼の故郷の風景を写真に収めています。たとえば1889年の油彩「大きな松の木」とそのモチーフとなった松の木の写真。この油彩の実物は1986年兵庫近代美術館のセザンヌ展で一度観ています。とても魅力的で好きな絵です。その絵とそっくり?!の風景写真に出会ったものですから、このページを開けた時にはちょっと感動しました。

他にも時間や天候で変幻するサント・ヴィクトワール山の様子も載っていて、セザンヌがこの山から霊感を与えられた理由がよく伝わってきます。それに、岩塊とも表現されるこの山の岩肌が、セザンヌ独特のあのさくさくしたタッチにそっくりなことにも気付くのです。
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そういえば少し前のシャープの液晶テレビCMにも、サント・ヴィクトワール山が使われていました。あれも良い映像でした。いつか現地に行ってみたい、と思うようになりました。(n.m.)
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by matsuo-art | 2009-12-29 21:42 |  

夏目漱石「草枕」

半年ほど前になるが、NHK教育の「私の人物列伝」で、孤高のピアニスト、グレン・グールドを取りあげていた。グールドは1982年に50才の誕生日を前にして亡くなったのだが、死の直前の枕元には夏目漱石の小説「草枕」の英訳本が置いてあったと言う。グールドはこの本を何度も繰り返し読んでいて、ラジオ番組で朗読したこともあるというのだ。それを知って、草枕を最後まで読んでみようと思い立った。

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」という有名な文句で始まるこの小説だが、私は数十ページ読んだっきり、そのままにしていたーーーと思っていた。ところが昔買った文庫本を引っ張りだしてみて驚いた。最後のページに読了したサインとなる日付"1985,5,10”が手書きで入っていたのだ。
全部、読んでいた。でも全く、覚えていない。

草枕は、世捨て人っぽい画家が山の宿に泊まった時の些細なエピソードで綴られた小説だが、彼がいろいろと想いをめぐらせていく中で、いくつかの絵画に言及している。今思えば、私はそれらの作品についてほとんど知らなかったはずだ。そんなことも内容を覚えていない理由の1つだろう。
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たとえば「ミレーのオフェーリア」(写真は部分↑)。この作品を当時の私は知らなかったと思う。これは草枕のストーリーの中核に関わって来るので、知っていないと分かりにくい(夏休みの宿題で生徒のTさんががんばって模写した作品です)。

「蘆雪の山姥(やまうば)」も出て来る。長沢蘆雪の、おそらく「絹本著色山姥図」(重要文化財,厳島神社蔵/写真は部分↓)のことだろう。当時私は大学図書館で蘆雪の「白象黒牛図屏風」を見つけて一人興奮していたが、その作品以外に長沢蘆雪という人の情報を全く持っていなかった。今では好きな歴史上の日本人画家トップ3に入る。
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「床にかかっている若冲の鶴」も出てくる。「一本足ですらりと立った上に、卵形の胴がふわっと乗かっている様子は、」と書いているので、このタイプ↓の墨絵だろう。伊藤若冲にしても、動植彩絵の群鶏図やタイル絵のような動物画を知っていたくらいで、墨絵についてはまだあまり知らなかったと思う。(ちなみに今、新発見された屏風を含めた若冲の企画展「若冲ワンダーランド」が滋賀県のMIHOミュージアムで開催されていて、必見です)。
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草枕には絵画だけでなく、徂徠や山陽の掛け軸、硯、英詩や漢詩についてなど、芸術文化についていろいろと言及されるが、まだ知らないことだらけだ。10年後にまた読んだとして、少しは今よりも理解できるようになっているだろうか。(n.m.)
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by matsuo-art | 2009-11-04 03:38 |