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東京・目白 古道具坂田

東京・目白の大通りの一本裏手にある、古道具坂田。
静かに佇む小さなお店ですが、ここには「デストロイヤー」と呼ばれる店主 坂田和實さんがおられます。6月に足を運ぶ機会があったので、ぜひこの機会に紹介したいと思います。

 かつて古美術や骨董品が名品であるかどうかは、そのものの歴史的価値、名のある作者かどうか、手間暇かけて高度な技術で作られているか、高級素材が使われているかどうかでした。学術的な知識を備えて初めて理解ができる教養人の嗜みの一つでした。しかし、そういった外から約束された価値基準の色眼鏡を外して、自分の感性を信じ、責任を持ってものを選ぶとはどういうことか。

 豪華さや完成度を基準にした固定観念に反する動きは古くは千利休のわび茶に始まり、柳宗理や青山二郎、白洲正子、小林秀雄といった骨董の目利きもまた、自由に自分の眼と直感でものを選ぼうとした人たちでした。坂田さんもそのような流れの先にいる人ですが、その眼はさらに自由に柔らく、使い込まれていたり、欠けていたり、骨董の世界からは見向きもされなかった名もなき日用品にまで及んでいます。

 お店のほの暗い空間に置かれているものは、刃のこぼれたヨーロッパの黒いナイフ、年季の入った銀のスプーン、どこかの民族の蜂取り籠、あちこち割れて継がれた陶器の器などです。ある時は焼きすぎた黒焦げの食パンや納豆の蓋、刺し子でツギハギしながら使われ続けたボロ布、使い古したコーヒーのネルドリップも置かれていました。
 文字で読むと「ガラクタ?」と思われるかもしれませんが、実物を見るとそれらが選ばれしものである理由に頷けます。どれもこれも国境と民族を超えて、世界中から集められた人の心を動かす質感、形、色の絶妙なバランスをもつ有力選手たちばかりです。それらはお店の空間の中で一番良く見える的確な場所に置かれています。

 もの自体がもつ美しさと既存の価値基準とはあまり関係がないというのが坂田さんの考えです。既存の価値を離れてものを選ぶということは、自分の価値観が明確でなければできません
。坂田さんがお店で売っているのは、「これを美しいと僕は思う。」という価値観です。坂田さんが現れたことで、多くの「眼」が開かれ、古道具のみならず多くの芸術家にも新しい視点の発見をもたらしました。静かに目の前のものと向き合い、それが本当に自分の望んでいることかどうかを考える姿勢には、私も大きな影響を受けた一人です。

 お店でお会いした坂田さんは飾らない人柄で、質問にも丁寧に答えて下さり、面白い話をあれこれと聞かせてくださいました。興味深かったのは、同じものでも欧米の乾いた気候の中で見るのと、日本の湿気の多い空気の中で見るのとでは見え方が違うということでした。絵の場合も日本の風土でよく見えていても、欧米の光の中ではよく見えないという様なことがあるのかもしれません。
 また、日本ではあらかじめ使い捨て用に作っている家具や器でも良いものが隠れていて面白い、とおっしゃっていました。外の価値基準に振り回されやすい日本人の特性から生まれているよう思いました。坂田さん自身も、たくさんの価値に揺さぶられ寄り道をしながら、今の「眼」になったとおっしゃっていましたが、坂田さんが絶えず発し続けてきた「あなたは自分のものさしを持っていますか?」という問いに、今回もまた襟を正され、目を洗われる思いでした。


〈坂田さんに関するお薦め〉

「ふだんづかいの器」という本の中で、骨董界切っての4人の目利きが、それぞれ自宅の食卓で愛用している器を紹介していますが、「とっておきの器を紹介してください」と言われて坂田さんは「掌」と答えたそうです。この案は編集者に却下されてしまいましたが、こう言ったエピソードからも坂田さんの自由で冴えた考え方がうかがえます。
本の中で紹介されている食卓には、アッと驚く視点で選ばれた食器たちが並んでいます。
https://www.amazon.co.jp/骨董の眼利きがえらぶ-ふだんづかいの器-とんぼの本-青柳-恵介/dp/4106020912

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「ひとりよがりのものさし」
坂田さんが芸術新潮にて連載されていた人気のエッセイは「ひとりよがりのものさし」という本になっています。
鋭い審美眼によって選び抜かれたものたちには、どれも息が抜けず、文章も飽きません。とても良い本なので、機会があれば探してみて下さい。
https://www.amazon.co.jp/ひとりよがりのものさし-坂田-和実/dp/4104644013/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1467213618&sr=8-1&keywords=ひとりよがりのものさし

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千葉の山奥には「as it is」という坂田さん主催の小さな美術館があります。
徒歩では最終のバス停から1時間強の山道を越えた所にありますが、こちらは大きな砂壁に囲まれて、さらに純度の高い坂田さんの「眼」に触れることができる静かな空間です。季節ごとに坂田さんの企画展や、坂田さんが信頼を寄せる個人のコレクターの企画展が行われています。
http://sakatakazumi.com

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〈追伸〉
予てよりいつか坂田さんの眼を通ったものを自分の眼を通して選んでみようと決めていました。
今回は2度目の訪問でしたが、これなら、と思えるものを発見したので、譲っていただきました。
古道具坂田の綺麗な光と空間を持ち帰れるものかどうか心配でしたが、帰って包みを開けてみると、、大丈夫だったようです。(y.m.)
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by matsuo-art | 2016-07-15 12:55  

謹賀新年 2016年

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新年明けましておめでとうございます。
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by matsuo-art | 2016-01-01 00:10  

パウル・クレー展

兵庫県立美術館で催されている『パウル・クレー』展に行ってきました。
クレーの作品は画集で見たり、展覧会の中の数点あを見たことがありますが、まとめてたくさんの作品を見る初めての機会でした。

とても楽しい展覧会だったのですが、その楽しさは行く前に想像していた方向とまるで別角度の楽しさで、言葉で言い表すなら素材のワンダーランドという具合でした。
クレーの作品では、使われている素材のバリエーションが多く、支持体、画材ともに不思議な組み合わせやこだわりにあふれており、作品キごとのキャプションにそれぞれ細かく書いてあり、それを追いかけながら作品をたどりました。
例えば、わたしがとても気に入った『いにしえの庭に生い茂る』という絵では
<紙に白亜の地塗り、水彩、厚紙に貼付(本紙上下にペンによる帯)>
となっています。
他の作品『植物的で不可思議』では
<紙に黒の地塗り・水彩、水彩で彩色した第二の紙に貼付、さらに厚紙に貼付(本紙および第二の紙の外周に水彩・ペンによる枠)>
であったり、また別の作品『小道具の静物』では
<ラミー織り布に油彩、厚紙に貼付(本紙外周にグワッシュ・ペンによる枠)>
となっていてます。
紙をあらかじめ彩色しておいたり重層的に貼ったりし、その作品の縁取りにまた別の紙を彩色して貼ってあったりします。
紙の種類もいろいろで、布地も多く使われています。
図版ではにじみに見えていた絵の端の部分は、実は紙の漉いた端や布の繊維だったりしました。
糊絵の具というものも多く使われていました。
糊絵の具は市販のものではなく、クレー自身がいろんな素材を絵の具に混ぜ込んだオリジナルの画材だそうです。

この展覧会には「だれにも ないしょ。」という副タイトルがついています。
それはクレーの作品を読み解くひとつの鍵が『秘密』という言葉で表されます。塗りや貼り込の層となった作品の内側に隠された表面から見えない絵、モチーフとして繰り返し現れてくる記号や図像、いくつかの作品をつなぎ合わせることで1つの絵としてつながっていることなど、作品からはさまざまな秘密が見え隠れします。展覧会は作家の仕掛けた様々な秘密に向き合う形で構成されています。
わたし自身はテーマや図像の象徴的な扱いや意味性、世界観やモチーフそのものにはあまり惹かれることはなく、ただひたすら素材の森と、作品の見え方に没頭し楽しみました。

その中で、特に気に入った作品をいくつか取り上げます。
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さきほどあげた
『いにしえの庭に生い茂る』
<紙に黒の地塗り・水彩、水彩で彩色した第二の紙に貼付、さらに厚紙に貼付(本紙および第二の紙の外周に水彩・ペンによる枠)>
これは絵の見え方も、主題も一番好きだった作品です。

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『独国旗のある朝食』
<紙に水彩・ペン・鉛筆、厚紙に貼付>
ポストカード大の作品。小さいのに強くひきしまっています。

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『アフロディテの解剖学』
<紙に白亜の地塗り・水彩、厚紙に貼付>
図像の混じり合った見え方と、細かい表現、色合いに惹かれます。

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『快晴』
<紙に膠の地塗り・水彩、厚紙に貼付>
明快ですかっと気持ちがよい作品です。

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『都市の境界』
<紙に水彩、厚紙に貼付>
これは点の並びや形、配置や動きで作品を動かしていく様子が、水墨画の山水画の「点」の表現と近く、興味深い。
クレーの作品にはこの作品以外にも、モチーフをそのものを表現しながらも、色の流れ、筆致のあり方などの絵の構成要素のそれぞれが、別の次元で空間をが存在するような複雑な見え方をするものがあり、わたしが「幸福の絵画」と勝手に名付けている池大雅の作品の効果を思い出させ、うれしくなりました。

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『柵の中のワラジムシ』
<綿布にパステル、厚紙に貼付>
パステルの油が彩色されていない白地の綿布の部分ににしみ出しているのが見える。
画集で見たときは好きになれなかったのだが、綿布のあぶらのじわっとした存在感が非常に柔らかで愛しい作品で、大好きになりました。

実はこの展覧会は明日11月23日(月・祝)で終わります。
見に行ったのは一週間ほど前のことでした。作品のよい印象が長く抜けずに頭の中に響いているので、ぎりぎりとなりましたがよい展覧会として紹介させていただきました。

『パウル・クレー』だれにも ないしょ。
2015年9月19日(土)〜11月23日(月・祝)
兵庫県立美術館
http://www.artm.pref.hyogo.jp

                                  (Y.M.)
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by matsuo-art | 2015-11-22 23:07  

「舟越 桂 私の中のスフィンクス」展 兵庫県立美術館

兵庫県立美術館で開催中の、舟越桂展に行ってきました。
学生の時、多摩美術大学にて開催されたグループ展に友人が参加し、その手伝いに行ったことがありますが、
舟越さんもその展覧会に出品されていました。
1985年のことです。
その頃からすでに注目されていた舟越さんの具象彫刻は、現代美術の新しい様相を提示した感がありました。
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今回の展覧会では広い空間にその作品1点のみが展示されている部屋が2つあります。
照明も含めたその展示の仕方と作品の求心力によって、非常に魅力的な空間が立ち現れています。
特に最初の部屋では、そこに入った瞬間にしてはっと立ち止まってしまうような軽い衝撃を受け、
この展覧会全体の質の高さというものを感受してしまうような空間になっていたと思います。

スフィンクスシリーズの力のこもった大きな作品や、
二つの頭部を持った作品、
あるいは作家のフェティッシュを感じる角の作り込みなどに引き付けられながらも、
いつも行う「この中で1つ買うとしたらどの作品か?」という問いかけを自分にしたら、
初期の作品群の中の静かなたたずまいの1点になりました。

家に戻って買ったばかりの図版を開けるとその作品が
最初の方のページに複数の写真で紹介されているので、
なるほどこの作品は特別なのだと得心しましたが、
この控えめな作品が醸し出す、言語化し難い、あるいは言語化しなくてもよいような、
美術作品の存在価値というものに改めて感じ入った次第です。

ところで、この展覧会のチラシなど広告物のデザインは、
研究室の年間パンフをデザインしてくれているツムラグラフィークさんによるものです。
そうとは知らずにO先生が以前授業の中で分析していたように、
このチラシは文字や図像をフォーマルに構成しながら、
静謐な展覧会の内容を伝える美しいデザインになっていると思います。(n.m.)
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by matsuo-art | 2015-08-18 12:05  

松尾直樹展 Another Green Landacape

5月12日(火)から23日(土)まで、京都 東山三条のギャラリー16にて個展を開催いたします。
ご高覧いただければ幸いです。(n.m.)

松尾直樹展 Another Green Landscape
2015年 5月12日(火)ー23日(土)[ 18日(月)休廊 ]
12:00〜7:00pm / 日曜・最終日〜6:00pm
ギャラリー16/galerie 16
京都市東山区三条通白川橋上ル石泉院町394 戸川ビル3F
TEL:075-751-9238 FAX:075-752-0798

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by matsuo-art | 2015-05-11 16:04  

坂口恭平「独立国家のつくりかた」(講談社現代新書)/「新政府展」(ワタリウム美術館)

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昨日(1/10)の朝日新聞・朝刊に坂口恭平氏のインタビューが載っていた。

坂口氏の本「独立国家のつくりかた」(講談社現代新書)は、昨年僕が読んだ本の中で最も爽快感に満ちた、興味深い本の一冊だった。その本の中で坂口氏は、2011年5月、機能不全の政府に代わる「新政府」をつくりその総理大臣になった彼がどのような経緯でその設立に至ったのか、またどのようなことを目指そうとしているのかを熱く語っている。(僕は本を読んでいたから朝日のインタビューでの発言も理解できたけど、記事を読んだだけでは彼のことが読者に伝わるのかなあ?)

その活動の原点は、子どものときから持ち続けている、お金の必要性に対する疑問、土地の所有についての疑問、エネルギーについての疑問、といった素朴な疑問の数々にあるという。そして、そうした疑問を持つ彼は、独自のクリエイティヴな方法によって限りなく「ゼロ円」で生活している、隅田川畔に住む路上生活者たちとの出会いによって、「自分でゼロから考えてやれば、どんなことだってできる。しかも、実は社会システムですらそれを許容してくれるように設計されているのである。ただ、そこ(※引用者注:社会システムのなか)で生きる人間たちが勘違いしているだけなのだ。なにもできない、と。お金がないと死んでしまう、と」(前掲書より)という確信に至る。

安価で制作したユニークな移動可能な家である「モバイルハウス」の実践や、3.11後の熊本への移住と、震災避難者の受け入れ活動、「新政府」の樹立、「自殺者ゼロ」を国是として掲げ、自分のケータイ番号を公表して生きることに困難を感じている人々の声を聞く「いのちの電話」、日本全国にある休遊地を(「新政府」領土として!)有効活用するプロジェクトなど、「新政府」の活動が語られるのを読みながら、僕は色々な先人たちのオルタナティヴな実践を想起していた・・・・バックミンスター・フラー、ビクター・パパネック、スチュアート・ブランド「ホール・アース・カタログ」、ビル・モリソンのパーマカルチャー、象設計集団、PH STUDIO、石山修武(坂口氏の先生だそうだ)、川俣正、藤村靖之の非電化製品、ウィリアム・モリスの「ユートピアだより」、ヘンリー・D・ソローの「森の生活」、ヨゼフ・ボイス、フンデルトワッサー、ガンジーのアシュラム、小田実「一人でもやる、一人でもやめる」、マイケル・リントンのLETS(地域通貨)、「夜回り先生」、などなど・・・(以上敬称略。実際にこの中の何人かは本の中で言及されている)。そうした人々の実践がでアマルガムとなって坂口氏の身体の中に渦を巻いているようだ。

そして、「新政府」の活動のすべてを包括して坂口氏は、「アート」(贅沢品としての「芸術」ではなく、生きるための「技術」としての)であると言う。僕も、そうとしか呼び様がない、と思う。「アート」は、最も個人的な部分から生じ、その活動の中で多かれ少なかれ周囲の人を巻き込みながらも、その核心部分は自分自身が真に生きるために否応なく噴出して来る「本来名付けようのない何か」なのだ。

この本に書かれているいろいろなエピソードや坂口氏の考えは(性急な断定や矛盾点などもあるが)、それを読む私たちの足下をもう一度掘り起こして、生活への新しいアイディアの生成を触発させる非常にラディカルな(ラディカルとは「過激」であると同時に「根底的」であるということ)刺激に満ち満ちていて、是非とも一読をお勧めしたい。

そして現在、このような「新政府」の活動を報告し、また生み出す場としての展覧会「新政府展」(ワタリウム美術館)が東京で開催されているとのこと。僕も観に行きたいなあ。(Y.O.)
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by matsuo-art | 2013-01-11 02:54  

イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに/森美術館

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(前回の続き)国立新美術館の「セザンヌーパリとプロヴァンス」展と「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」を観た後、歩いて六本木の森美術館へと向かいました。

森美術館は六本木ヒルズ森タワーの53階にあります。僕が観に行くイ・ブル展と同時に「ONEPIECE」展を開催中で、その広告がやたらと目立ちましたが、
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もちろん、イ・ブル展の案内もありました。
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森美術館へは、エレベーターで森タワーを50数階まで昇った後、展望台やレストランがあるエリアを経由して行かなくてはなりません。展望台からは上空から東京の街並をぐるっと眺めることができて壮観です。
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もちろん、開業したばかりの東京スカイツリーも見えましたよ。
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さてイ・ブル展ですが、この韓国出身の女性作家が活動を始めた80年代から現在までの主要な作品をテーマごとに展示していて、各部屋もそれなりに見応えがあり、全体的にいい展覧会だと思いました。この人は多分僕と同世代だと思いますが、生まれ育った場所は違えども何か同時代のパラダイムを共有してきたという感じが作品から感じられ、何だか親近感がありました。また、とにかくいろいろなことにアイディアを持っていてそれをどんどん形にして行っているという印象で、非常に豊かなバイタリティーを感じました。
展覧会の最後にヴィデオでイ・ブルさんのインタビュー映像が流されているのですが、自分自身の個人的な問題意識を作品化することによって普遍的なものへと昇華させようという意思がその語り口からも感じられ、共感しました。
まあ、作品の内容そのものとはあまり関係がないかも知れないんですが、天井から吊り下げられた彫刻作品の影が地面や壁に落ちている様子や、新作の嘔吐する犬の嘔吐物(プラスチックやガラス、ビーズなどで出来ている)が光を反射して部屋の壁面に不思議な模様を描いている様子が特に美しかったです。(Y.O.)

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by matsuo-art | 2012-05-31 14:18  

「セザンヌーパリとプロヴァンス」展、「大エルミタージュ美術館展」 /国立新美術館

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東京で展覧会を3つ観てきました。
乃木坂の国立新美術館「セザンヌーパリとプロヴァンス」展と「大エルミタージュ美術館展 世紀の顔・西欧絵画の400年」、そして六本木の森美術館の「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」です。

セザンヌ展は、セザンヌの残した多様な画業を、「初期」「風景」「身体」「肖像」「静物」「晩年」という切り口で構成・紹介していて、どのコーナーにも目玉になるような有名作品が必ず1点以上あり、また、僕自身がセザンヌの実作を観るのが久しぶりなこともあって、大変新鮮に楽しむことができました。

個人的に一番うれしかったのが、観てみたいと思っていた下の「松の木」の絵(図版は部分)があったこと。
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あと、この岩の絵もなかなかにシブい絵でした。
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この青い花瓶の絵もありましたが、これを観ながら
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研究室でのデッサンでこんな絵を描いたら必ず直されてしまうような事をいろいろとやってくれているなあ、と改めて可笑しくなりました。(もちろん、セザンヌがこうした絵でやろうとした事をわかった上で言っているんですよ。ー笑)

それから何と言っても、この展覧会最大の目玉はこれでしょう。
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会場全体の作品を観て改めて思った事としては、絵の具のつき方が意外に薄塗で、また非常に繊細な筆運びをしているという事です。その上で、形態がしっかりと見えて来るように、線描やアウトライン周辺のトーンなどで明暗のアクセントを絶妙に付けているという事です。
あと思った事は、「セザンヌは一日にして成らず」。当たり前の事ではあるのですが、セザンヌの生涯をかけたたゆまぬ創造過程の中で、彼自身の語法が発見され、改良され、活用され、進歩し続けて行こうとしている様にやはり感銘を受けました。

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セザンヌ展の会場を出ると、上の会場で「エルミタージュ美術館展」をやっています。この展覧会の目玉はマチスの「赤い室内」で、それを観たいと僕も思っていたのですが、それ以外にもやはりいい絵がありました。ルネッサンス、バロック、ロココ、近代と、ざっくりと時代を区切って比較的大きな作品がゆったりと掛けられています。
ルネッサンス・ヴェネツィア派のティツィアーノやヴェロネーゼなどが観られたのも収穫でしたが、中でも一番感銘を受けたのはレンブラントのこの作品でした。
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1982年、僕が大学1年のときにブリジストン美術館で大きな「レンブラント展」が開催され、僕はあこがれのレンブラントを是非観たいと京都から東京まで観に行きました。この絵はその時に観ているはずで、30年ぶりの再会ということになります。
全体には褐色が基調の落ち着いたトーンの絵ですが、グレージングなどで薄く他の色相も掛けられており、意外にカラフルな印象です。ラフな筆触で描かれた部分、厚く絵の具が盛られた部分、素早い筆致で絵の具が引っ張られた部分、グレージングの部分など、絵を構築している全ての部分がそれぞれ意味を持って有機的に関係し合っています。そのような造形要素が即物性を感じさせたままイメージへと転化し、画面全体でじんわりと「語りかけて来る」様は、西欧の絵画と言うよりは、むしろ水墨画のようでもあり、「レンブラントは西洋とか東洋とか言った概念を超えているなあ」とすっかり感心してしまいました。
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しばらくじっくりと見入ったあと、レンブラントの余韻をお腹にほこほこと感じながら国立新美術館を後にして、森美術館へと向かいました。(つづく) (Y.O.)

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by matsuo-art | 2012-05-29 00:33  

銅版画師ウィリアム・ブレイク展/京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

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京都市立芸術大学教授で、現在京都市美術館の館長も兼任されている潮江宏三先生が、ご自身の退官記念展として長年研究されてきたウィリアム・ブレイクに関する展覧会を開催されたので、先日観に行ってきました。( 潮江先生は、「世界の素描14 ブレイク」(講談社)や「銅版画師ウィリアム・ブレイク」(京都書院)といった本も出されています。)

ウィリアム・ブレイクは18世紀後半〜19世紀はじめ頃のイギリスの画家・詩人ですが、生活していく上で彼は「銅版画師」という職業を選びました。絵画の複製や本のイラストレーションとして、銅版画師の需要はたくさんあったからです。
この展覧会の展示は、ブレイクが生きた18世紀後半〜19世紀はじめ頃の銅版画のスタイルの紹介から始まり、ブレイクの師匠や仲間たちの作品、そしてブレイクが手がけた自分自身の作品や銅版画師として注文された仕事の数々が展示されています。一部ファクシミル(精巧な複製)もありますが、大部分は先生ご自身のコレクションや京都市立芸術大学の蔵品という事でした。

僕が見に行った12月17日は潮江先生によるギャラリートークがありました。
ブレイクが日本では特に詩人として知られている事、大正〜昭和初期には白樺派の紹介等で非常に有名な存在であった、などの説明から始まり、当時の銅版画が絵画の複製をいかに再現するかというテーマで様々なテクニックが開発されたという背景や、それゆえ当時の絵画の流行が版画にも反映している事、ブレイク自身は自分の師匠を選ぶにあたって「古くさい」スタイルの師匠を選び、ブレイク自身も後年、同じように「古くさい」技術を評価し自分自身もそうした技術で制作した事、そしてさらには彼の造形や思想はラファエロ前派の画家たちやウィリアム・モリスなどに大きな影響を与えていったこと・・・、などが、ブレイクの生業であった「銅版画師」という側面を強調することによってありありと見えてきました。また同時に、ブレイクが同時代的にいかに特異な存在であったかという事も浮かびあがってきます。

僕自身がブレイクを知ったのは大学入学後すぐに潮江先生によってご教示されたからです。その後ロンドンのテートギャラリーでオリジナルの水彩を見る機会もありましたし、彼の詩も読みましたが、その頃の僕には正直あまりピンと来るものではありませんでした。その頃の僕はもっと感覚的であったり、表現主義的であるような芸術に惹かれていたからです。それ以来僕もブレイクを忘れていましたが、今回このような機会で改めて接してみると、ブレイクという、その思想、その魂のありかた、そしてその造形は、今や僕のすぐそばにある事がわかります。

この30年ぶりくらいの邂逅をきっかけにして、とりあえず詩から読み直してみようと思います。(Y.0.)

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by matsuo-art | 2011-12-19 11:29  

榎忠展/兵庫県立美術館

兵庫県立美術館で開催されている榎忠展に行ってきました。
「美術館を野生化する」という副題が付けられていましたが、まず、このタイトルに非常に興味を引かれました。「美術館を野生化する」って、一体どういうことなんだろう。
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確かに会場には非常にワイルドな雰囲気が漂っていました。
まず、会場に入ると、ずらりと並べられたライフルの形をした彫刻がただならぬ雰囲気を醸していますし、続いて機械部品を組み合わせて作った大砲が異様な存在感を持って鎮座しています。
大小の無数の薬莢(やっきょう)を塚のように積み上げた作品、かつて建築物の一部だった鉄材を裁断してごろりと並べたもの、巨大な円筒形の鋼管を溶断して空間に配置したもの、そして、無数のステンレスの金属部品を旋盤で加工して積み上げ、あたかも未来都市のような幻想性を感じさせる作品など、鉄! 鉄! 鉄! の世界でした。
大学院を出てから3年ほど彫刻の工房で働いていたことのある僕としては、大きな鋼材がゴロゴロと会場内に並んでいる様を見て、「搬入、大変やったやろな〜」と変なところで感心してしまいました。

機械部品の大砲は、過剰な威圧感と、そのような威圧感をまとっていることの滑稽さを同時に感じましたし、無数の薬莢が塚のように盛り上げられている作品の真鍮の輝きに魅せられる一方、「これは生命を殺傷するために放たれた弾丸の残りなんだな」と思うと、その膨大さにゾッとせざるを得ませんでした。武器をテーマにした榎氏の作品にはそのような両義性があると思いましたし、そうであればこそ「アート」なのだと思います。

そして、とりわけ感銘を受けたのは、そのストイックなまでの作業量を感じさせるステンレスの未来都市でした。やはりこれは息をのみますね。子どもの頃、積み木やおもちゃ、その辺にある日常生活の道具や部品などを手当たり次第に積んだりして、建物や風景などを作った経験は誰にでもあると思いますが、そんな子ども時代の無邪気な行為を徹底的に突き詰めて、圧倒的な物量と作業量で展開したかのような圧巻の展示に、いつまでも見入っていたいような気持ちになりました。

最近では珍しい、「彫刻」を感じさせる展覧会でした。(Y.O.)
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■会期
2011年10月12日(水)〜11月27日(日)47日間
会期中無休
開館時間:午前10時〜午後6時(金・土曜日は午後8時まで)入場は閉館の30分前まで
■会場
兵庫県立美術館3階企画展示室他
■観覧料
一般1,200円/大学生900円/高校生・65歳以上600円/中学生以下無料
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by matsuo-art | 2011-11-25 16:15