美の巨人たち 俵屋宗達「重要文化財『舞楽図屏風』」2015.5.30放送 の感想

日本の国宝については「ちゃんと国宝になるべきものを国宝にしているなあ」と感心することが多いのですが、俵屋宗達の舞楽図屏風が重要文化財どまりで国宝になっていないのは謎です。構図を重視しすぎて舞い手が静止して見えるせいでしょうか?しかし、舞楽図ほど枠組みと図像の配置という絵画の足かせを逆手に取って、徹底的に考え抜いて構成された絵はないでしょう。古田亮氏はそれがマチスの業績と同等であると直感的に感じられており、まさしくそれは正しいのですが、理由を「音楽的」という大まかな言葉でしか語られていない(古田亮「俵屋宗達」平凡社新書)のは残念です。
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マチスは指示対象の平面化から顕在した図像の図と地の関係を追求し、図と地の形態的類似による反転効果(マチスのわかめ模様)や、細い形や狭い形を図像や背景などに作る効果で、形象を単純にしても画面が「動く」場所を(色彩のために)開拓しました。宗達もそうした実験を様々な作品で展開しており、舞楽図はある意味その集大成です。

舞楽図では、しっぽのような布の形態や松と桜の幹の隙間(枝との類似、また、細い形は広い形よりも図として認識されやすい)に図と地の反転が現れています。広い空間を背景に作る一方で、極端に細い隙間を背景に作り、観る者に緊張と緩和のリズムを与えることに腐心しています。
さらに舞楽図が観る者を飽きさせないのは、画面全体の構成だけでなく、2つに分けて1曲ずつ見ても、4つに分けて見ても、真ん中の正方形の画面で見ても、それぞれの緊張感と表情で画面が見えるように構成されているところです。

不思議なのは番組でも語られた通り、そのようなフォーマリズムの視点を持った画家が「突然」現れたことです。西洋でもセザンヌが突然、現れました(そしてマチスに受け継がれた)。突然現れる素地はあったとも言えますが、この謎は解けそうもありません。

実際の舞楽では違う演目が同時に演じられることはありません。宗達が図像の形態を優先し、図像の意味性を軽視して過去の図像からカット&ペーストしたことはよく知られていますが、そのことと、番組が白い翁の意味性を強調したこととは矛盾します。なぜ番組がそこを主張したのか理解できませんが、ただ、番組を見る中で、翁の意味性だけでなく、その他の舞い手の意味性も含めて宗達が図像を選んだ可能性がある、と私は思い直しました。宗達は「図像の形態を優先して意味性を無視した」と今までは思いがちだったのですが、形態と意味性と、実は両方から吟味したのが宗達だったのではないのか?

確かに白い翁は全体の要になるかもしれませんが、選ばれた舞いの演目や松、桜など選ばれた図像の全体から見えてくるテーマ性が他にあり得ないのか、検証してみると面白いと思いました。(n.m.)
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by matsuo-art | 2015-06-01 15:24 | 美術  

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