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村上華岳の花隈・元町

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松尾美術研究室は神戸・元町の北側、花隈城趾の東隣に位置していますが、花隈と言えば、大正〜昭和初期の日本画家・村上華岳邸のあったところです。
村上華岳は私の真に敬愛する画家の一人で、歳を取るごとに彼の画業は私の中で存在が大きくなっています。華岳の家が花隈にあったことはずいぶん前から知っていて、暇がある時には界隈を華岳邸跡を探して回るのですが、この界隈は入り組んだ路地や坂道が多く、どうにも探し切れていませんでした。
しかし先日の散策時に、こんなに探しまわったのが嘘のように、かなり分かりやすい場所であっさり見つけてしまいました。今は花隈自治会館という建物になっていて、その前に立っている石碑だけが華岳の家がかつてここにあったことを示すばかりです。

華岳は明治22年、大阪の生まれですが、この花隈の家で少年時代を過ごし、京都時代、芦屋時代を経て、昭和2年、40歳の時にこの家を引き継ぐ為に戻ってきます。そして昭和14年、52歳で亡くなるまでここで持病の喘息と闘いながら作品を描き続けました。

制作の合間には元町の洋書店や輸入物産店を巡ったり、大丸で買い物をしたり、旧居留地あたりにあった「ブラジレイロ」というカフェでコーヒーを飲んだりしていたようです。(この「ブラジレイロ」というカフェは大阪、東京、京都、神戸、福岡に店舗を持った老舗のコーヒー店で、現在は福岡にのみこの名前を引き継ぐ店が残っているようです。)
華岳の自らの絵に対する思いを綴った文章を彼の死後にまとめた「画論」(中央公論社)を読んでいると、時には長女を伴い諏訪山、再度山、布引の奥へと散歩したことが書かれています。

「たとへば諏訪山にしても、山は浅いが、入ってみればあれでなかなか幽谷らしい気分のところもあり、市井の気分転換にはもって来いである。
(中略)再度山など、今ではバスが通っているほどに開けてしまったが、それでもあの古い山門前の椎の木の下に座っていると、夏でも冷々たる嵐気を感じる間適なところである。このあたりは山は浅いが、立派な森林帯がずっと続いていて、幽遼な趣致にとんでいるので、私など時折出かけて、あの山門前で一休みをする、あの気分がどうしても忘れられない。
(中略)私は健康に恵まれないでこうして常に引籠もり勝ちなのは、私としては実際不幸な事だけれど、お蔭で静思瞑想の境地には自由に遊ばれるのでその点幸福だともいえる。負け惜しみをいうようだが、私はこうしていても非常な異国芸術への憧憬家で、印度とかエジプトとか、中央アジアなどの貌遠荒茫な天地に深い幻想をよせている。もし私が人並みに健康でありえたら、こうして花隈の一角に年中かがまりこんでいる人間ではなかったろうと思っている。」


華岳はジオット、フラアンジェリコなどの初期ルネッサンス美術、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ウィリアム・ブレイクなどの精神性への共感、あるいは中国やインドの文化芸術への憧憬を「画論」の中で頻繁に記しています。京都時代に国画創作協会の仲間(小野竹喬、土田麦僊、野長瀬晩花ら)たちが渡欧する中、持病の為に彼らとの渡欧が果たせなかった華岳は、後に協会を脱退し、中央の画壇との関わりも断って、少年時代を過ごしたここ花隈の地で、「道心のうちに衣食あり」と彼が言うように自らの芸術をストイックに追い求め、「密室の祈り」(華岳)たるべき純度の高い絵を描き続けました。

しかしその一方では、港町神戸に集まる異国の文物や様々な国の人々の発する華やぎや六甲の山々からの涼風が、彼の憧憬を慰めていたに違いありません。

ところで、2005年に京都国立近代美術館で華岳の大規模な回顧展がありました。その折には私も2度会場に足を運び、華岳の絵の世界を堪能しました。それからもうすぐ10年になります。兵庫県立美術館も華岳の作品を多数収蔵しているとのことですし、神戸・芦屋と華岳の関わりに光を当てた大きな展覧会が、近い将来神戸で観られることを切望してやみません。(Y.O.)

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by matsuo-art | 2014-09-07 12:27 | 美術  

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