赤毛のアン アニメと原作本
「赤毛のアン」を再読しました。最初に読んだのは32年ほど前、テレビアニメの赤毛のアン(1979年)を観たあとです。世界名作劇場として放送されたこのアニメは、現スタジオジブリの高畑勲が監督、宮崎駿が(途中降板しますが)場面設定・画面構成をしています。放映当時、その第一話を観て、それまでにない描画の美しさに感動し、興奮した覚えがあります。
その美しさはアボンリーの自然を豊かに描写しているにとどまらず、日常の情景にたくさんの感動を見つけ出す夢見る文学少女アンの視点を見事に表現していました。日本のテレビアニメがこの作品によって何か一段階上のレベルに押し上げられた、そんな印象を持ちました(世間ではあまり話題になっていなかったように思いますが)。と同時に、マリラやマシュー、ダイアナなど周りの人々に支えられながら成長していくアンのストーリーに魅せられ、10冊出ているシリーズのうち3冊くらいまで読みました。
ふとしたきっかけで原作をまた読んでみたくなり、新潮社文庫版を買って読みました。ギルバートとはどうやって仲直りするのだったかなあ、などと思い出しながらアンの世界にひさびさに入り込んだのですが、そうなると今度は、アニメが観たくなりました。
赤毛のアンのアニメを今観るとどんな感じなのだろう、ということは以前から思っていたのですが、美しさに感動したと言っても30年以上も前のこと、現在、日本のテレビアニメのレベルは飛躍的に向上して、どのアニメも美しい背景を持っている(「もしドラ」もきれいだったし、夜中に放送している「坂道のアポロン」も凝っている)。そんな状況に慣れた眼に、アンはどのように映るか。DVDを手に入れて観てみました。
新緑に映える赤い土の道、駅の屋根や影ににじむ薄紫色のグラデーション、傾き始めた陽に照らされた雲の色味、しっとりとしたたたずまいの夕暮れの湖。今観ても十分に美しい描写力と色合いで、現代に通用するレベルです。この作品が日本アニメのレベルを押し上げたのだ、と確認しました。”喜びの白い道”を初めて通るアンが「カスバートさん!カスバートさん!カスバートさん!!」と叫ぶ、記憶に残るあのシーンも観ることができました。
昔とは逆に本を読んでからアニメを観ると、アニメはたくさんの資料集めや取材の上に成り立っているのだなあ、ということを実感します。当然ながらアニメでは背景に見えるものは室内でも風景でも、本に書かれていないものも全部描かなければならない訳です。それに、たとえばピクニックでアイスクリームを食べるシーンでも、アニメでは皆で野外でアイスクリームを作って食べるのですが、原作ではアンの語りの中にひと言出て来るだけで、その様子が詳しく書かれているわけではないのです。アニメのシーンは、当時のアイスクリーム製作器具などを取材した情報の上に、想像をまじえて描かれているのだろうということです。
ところで、2008年はアンの原作本初出版から100周年の年だったそうで、新潮社文庫版はそれを記念して、村岡花子さんが1952年に初めて翻訳した文章に、当時訳していなかった部分を孫の美枝さんが補って改訂した内容です。新しくしたとはいえ、基本的に村岡花子さんが昔訳した古い言い回しを尊重しています。それを読んだ後に、掛川恭子訳、完訳クラッシック講談社版が研究室近くの古本屋で300円で売られているのを見つけて買ったのですが、こちらのほうがずっと読みやすいことに気づきました。言葉使いが現代的であるだけでなく、原作の言い回しをより忠実に訳しているように思います(英文原作と朗読音声はネットで無料で手に入ります)。(n.m.)
by matsuo-art | 2012-06-13 22:42 | TV